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2025年7月31日木曜日

具象抽象と情けなくもあるが

片方で具象を描いているのです。私はあまり丁寧な段取りをやりません。性に合わない。いきなりバシャバシャと置いていく。だから最初だけをみると、いったい何を描こうとしているのかすら知れない。


ところがこの頃はむしろその段階の方が面白いと感じてしまうのです。 もちろんそのままでは作品にはならないけど、そのまま完成を目指すよりも他へ持って行った方が面白いと、そう感じ始めて以後は、もう物事が一定方向に進まない。もっと言えばだんだん具象画描けなくなってきつつあります。

それはそれでよいのですが、同時に困ったことでもあります。そのまま具象へ進んだら、後の展開が退屈で仕方がないのです。これっていったいどういうことなんだろう。

いや、抽象に引っ張るにしても到達点はここではない。もっと描き込まねばならない。双方に時間を割いて、それはそれで良いのだろうか。いつも迷います。私の人生に、もう残りは多くありません。

しかし一方で、どの道たいしたことなどやっていないので、あれこれ悩んでも無駄。そんな気もします。今は今、楽しめることを素直にやりましょう。

2025年5月23日金曜日

描画の途中で何故か立ち止まる

分岐点みたいなものが見えるのです。そのまま具象に進むか抽象風にした方が面白いか。いつの頃からかこれが顕著になりました。



以前ならこういうことはありません、そんまま何の疑問も感ずるところもなく具象に走りました。しかし一旦別の表現を試み始めたものには、それに応じて分岐点が増えてきます。これは苦労とも言えるし楽しみとも言えるものです。

今の私にはは克明描写はかなり遠い存在になりました。もっとも、最初からあそこに入る素地はまったくありませんでした。子供のころからそうでした。せっかくの絵画なのに何故あそこへ行くのか、という疑問もあるにはあるのですが、そこは個人の自由であります。人にはそれぞれの世界がある。

こういうことですので、具象であってもなるべくはその人個人の表現方法が如実に表れている描画に私個人としては魅力を感じます。この絵も、具象で行くにしても、ここから様々な方向へ持っていけます。

しかしこのブログでは概ね抽象現代風でまとめたいと思っています。模索を進めているわけです。そしてずっと模索が続く。

何故と思いつつの毎日です。不透明な水彩です。

2024年7月19日金曜日

意図しない絵の面白さ--2

具象画であれば、概ねは何らかの形を描く訳ですが、形も色も何等の意図を持たないイメージも時として私の目を惹きます。



それが何を表しているかと問い始めたらこのような行為は突然つまらなくなります。しかし偶然のなかからどこを選ぶか、などについては人の意志が入ります。恐らくはその部分如何によって随分説得力が違ってきます。しかしここではそれをもなるべくは考えずに遊びに徹するのです。遊びこそ面白い。しかも形に拘らない絵こそこの場合は面白いと思うのです。

他愛ないと考えるかどうかはその人次第です。しかしここは出来の良い悪いや説明は考えないで偶然にできるイメージにもっと関心を持ちたいと思うのです。私にとっては重要な作業です。

上の絵、取りあえず絵として置きますが、どうやって描かれたものかはしばらくは黙って置きましょう。絵を描くには本当に色んなことに取り組まねばならず、これはその一環です。

一方で、形は不明でも完全な意図を持って描く場合もあります。抽象画と言っても多くはそうではないでしょうか。しかしこの場合はそれもないです。

あまりうるさく考えないで遊んでみましょう。