2026年4月30日木曜日

何かの表面

 


このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。

それはものの表面に現れるものと言えます。

街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。

そのどこが?

そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。


でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。

2026年4月24日金曜日

成り行きのままに


それこそ目論見もなく、ぼんやりと筆を運んで勝手にできるイメージから連想する、ということは以前にも述べています。それが何に繋がっていくか、ということについてはもう考えることはありません。それがあっても良いしなくても良い。

そういうことを言うとほんとかなと訝る人があるかも知れないけど、もう時間を考えてもそれがありません。長い中断があったので、私は人生的な時間をかなり無駄にした感じです。といって中断がなくてもどれほどのものが積みあがったかなどということはまったく推し量れません。まあ、どっちにしたって大したことはない。その辺の位置で楽しんでいるのです。

2026年4月17日金曜日

賃貸持ち家論争というのがあるけど

少し住まいがくたびれてきて手直ししているのですが、少しばかり出費があります。これは痛い。なにもなきゃなにもないのに--と言ったところでしょうがない。自分でもメンテをしているのですが自分でやっているよりは業者に来てもらった方が早いと悟りました。今のところに住まいして長いのでローンも終わってるけどボロ家。だましだまし住んでいる感じですね。過去に給湯器も二度入れ替えているし、それでも持ち家は払い終わると家賃に類するものがないので質素な貧乏生活が可能です。どこがどうなったって気楽なものだし。

しかしこれには異論があって、結局持ち家の方が金がかかるとかの論もあります。でもそれってちょっと変で、だったら賃貸の大家さんはボランティアじゃないですか。それに大家さんは過去の経験だけど、部屋が傷んでもそんなに気安く直してくれません。

私がやってみたいのは、極貧とも言えるところに住んでそれでも結構気楽というのをやってみたかったのですが、近づきつつありますね。

近所にはもっとあるのですよ。これでよく住んでいるな--なんてところが。なかを見てみたい気がします。

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そういう状態でコツコツと、それはまったく描けるときだけの絵画制作。これも気楽にと思っています。描いて今更の感もあるのですがね。

先日の画像に色を重ねて加工しました。

2026年4月8日水曜日

何に見えるだろう


熊かな。 別のお化け?

これは勝手にできた模様です。これも偶然の産物。

苦労して描いたものとどう違うだろう。

このごろの私にはそれが分からなくなりつつあります。

だから、このブログは成り行きのまま。

2026年4月3日金曜日

露出した根っこのイメージ

描画途上を思ったらかなりずれてしまって物足りないが、普段こんなものばかり描いている。露出した木の根っこ。ずれてしまったと言うのは、もっと大雑把で荒々しくやりたかったということだが、まあそれはしょうがない。何事も成り行きのままだ。結果にはあまりこだわらない。そういうことにしよう。

飲んだ帰りに公園の地面から露出した根っこに躓いて転倒したことがある。こんなに群れて露出したところじゃないが見事にズッテーン。メガネも壊れてしまったが幸い顔面をちょっと打ったくらいで重大には至らなかった。老いてくると公園でさえ危ないんだな。

2026年3月30日月曜日

怒涛


そう見えないかな。 ここから進めようでなんとかなりそうな気もするけど。本当は別を描いていて、見方を変えてやればそっちへも行けないこともない。その辺が個人的な関心どころなのです。どう転がるか知れない。これも偶然を楽しむ部分ですね。ふふふ。

2026年3月24日火曜日

これは何だろうか

描いている本人がそれを問うてもしょうがないけど、そんな感じになりつつあるのですね。ある具象的なイメージを描いていたのですが、そっちへ向かって走るよりちょっとずれてみようか、そんな気になっているのです。描いているといつもそんな迷路にはまります。

でも、その類の迷路はとっても楽しい。何が生まれるか本人もわからない。これだってこれからずっと絵具を乗せていきます。するとはっきりしてくるでしょうが、しない方が良いともいえる。別の方向に進みたくもある。難しいです。ふふふ…。

この絵は100均で売られている超安物の筆、それもわざわざ細筆を使って描いたものです。勿論ここからは別の筆も使います。しかし安物の筆を思い切り押しつぶしてイカのように足を広げて、それを押し付け擦るようにして描いていきます。筆は様々な顔を見せます。そこはかなり面白いところです。結論を言うと、これはスクラップを描いているのです。

絵はお遊びではないとの考えもあるでしょうが、それで良いと思います。

2026年3月17日火曜日

日々わからないまま描いている

絵のブログではなくて、私は別ブログを並行して幾つかを運用しています。どれも皆どうということのない気楽なブログで、更新にも気を使いません。久しく開いたと思ったら何か更新する。その程度です。

でもそういうブログって割と楽しくて、枕もとのメモ帳にでも書いておればよいようなものを記事にしたりします。でも時々思うのです。これって意味あるのかな…。

意味を求め始めたら私たちの生き方は突然重くなります。だって、日ごろ勤めに出ていることだって同じことです。給料を得るため?なら何のために給料を?食べるため?何のために食べる?永遠に尽きません。

2026年3月5日木曜日

塗りつぶしただけだが

妙にこういうのがすきになりました。最近特に…。勿論この段階では形になりません。言葉通りの形ではなくて、どう言えばよいのか迷うのですが、なんとなくわかっていただけると思います。


つまり面白い要素がここには見えていて、しかし今の私にはそれを具体化できない。悩みの多いことです。見えているものを描くだけでも大変なのに、ぼんやり頭の中にあるものをイメージ化するのはとても大変。多分、ずっと悩んだままで終わりがないのでしょうね。でも意図して描いたものより断然私には興味深い。

このブログではほぼこのような実験的なものばかりを公開していますが、元々アートを敢えて目指さないを目的にしています。それを意識するとちょっと崩れるのですね。とっくに崩れているのですが、興味深さも失われるということです。

駄文を垂れていても始まりません。描くことに専念しましょう。

2026年3月3日火曜日

本日も挫けている

これを挫けると言って良いのか、自分でもわかりません。しかしとにかく、気持ちが全然乗らない。この理由はある程度想像できます。少々煩雑なことが多すぎた。そっちはそっち、こっちはこっちで気持ちを分けるのですが、実際はそれもなかなか難しい。



そんな時でも、何か描かねばと気持ちが焦る。焦る必要って、よく考えてみると実はないのだけど、ここが気持ち的貧乏性というか、あまりおおらかになれないのです。

そんな時は、なるべく何かを描こうではなくてとにかく筆を握ってみる。描けないでも良い。気持ちがむしゃくしゃしたり焦ったりの時は休むのも悪くはないし、実際そうするときもあるのだけど、逆にむしゃくしゃしたまま出来損ないを描いてみる。まあ、そんなこともいいんじゃないかって、時折はそんな気持ちになる。

つまり、もう成り行きでよいのです。今更何もない。このブログは元から成り行きだし、気持ちもずっと挫けたまま。それでも生きている訳で…。

2026年2月26日木曜日

気持ちは崖を転がっている

この頃、ろくなことがありません。うっかりミスばかりしていて、全く本当に大丈夫かと思うことが多いのです。絵なんて別にどうってことない世界だけど、現実はそうはいかない。間違うと恥をかいたりするだけだったらまだしも、あの人変じゃないとか思われかねない。


思われてもいいですがね別に。それで貯金が減るわけじゃない。とはいえ、いよいよ何かが来つつあるなと、そろそろ観念しつつあるところです。人間諦めが肝心などというけど、まだまだいけるつもりでいたらある日ボッテーンとこけたりします。実際居酒屋の帰りに既に何度も転んでいるのです。

2026年2月14日土曜日

描くものは得体もしれず

何かわからないものをずっと描いています。描くというより意図もせず筆を走らせて勝手にできる筆跡のイメージです。こんなものでもじっと眺めていると何かが見えてくる。


随分気の長い話ですがこのブログはそういうところです。そのうち何かの間違いで何かが生まれる。生まれないでも良い。

とまあのんきに構えているけれど、実はそろそろ慌てているのです。こんなの描いている時か、することは他にあるだろう。あるのですが、そっちは全然やるきにならない。でもやらなきゃいけないことなのです。こんなときどうしたものか。切羽つまらなきゃ何もやらない。私はずっとそんな生き方でした。

そんな怠け者が絵を描いているのだからなにがどうなる訳でもないと自分でもわかっているのです。でも、時として描くのは私には重要なのです。それがなんであるかは関係ない。

いつものごとく、これも筆を動かすがままになったものです。これならいっそお猿さんにでも描かせた方が面白いかもしれません。私もそう思います。しかしそうとばかりは言えないと片方では思うのです。いざとなれば、なかなかいざとならないのですが、そのうちきっと…そんな日々を送っています。そして時間だけが過ぎていく。

なんと残酷なことでしょう。あまりに残酷過ぎてそれはもう考えますまい。かくして意味不明な足跡だけが残るのです。

2026年2月7日土曜日

あれこれとあって絵がお留守

身近な事情で少々煩わしい思いをしていました。私はもうそれなりの年齢で、そろそろ暮らしをコンパクトにしなければと思い始めたのです。そう思うと、最早のんびり絵を描いているわけにもいかないのが現実ですが、さりとてそっちのことも全然進みません。


ひとつ家のことをやり始めたらなかなか始末がつきません。途中でやめてしまって様々が散乱したりのままになっています。世間に細々したことは言いませんが、私は家族に一切の面倒を残された形なので、あれこれやっているうちに憤懣すら沸き起こってきます。

しかし絵は絵で頭を切り替えて進めましょう。今更絵を描いて何になるということもあるし、その進み具合はカタツムリほどもありませんが。

2026年1月11日日曜日

坑口

更新できない間に新年を迎え、さらに10日以上過ぎてしまった。何の実りもないように見えるこのようなことをしていてよいのかと思いつつやっていることは同じ。アートは私にとって、今や単純に頭の体操になってしまいました。でもまあ、良いのですそれで。それで十分に楽しい。苦しいことも多いですがね。


これは、何気に勝手に生まれたイメージで、ぼんやり眺めていると破壊された基地か或いは廃坑の入り口のように見えてきたのです。適当なタイトルをつけています。企んでそうしたわけではないのですが、パターン化されたものが重なるようなイメージで、我々が何かを描こうとしてうまく行かないとき、ここにはそのヒントがあるように思うのです。

これをもとに、もっと抽象的に分解したイメージを描こうと思ったのですが、全然うまく行きません。相変わらず偶然に勝てないでいます。この辺の研究がまだまだ捗っていないということでしょう。私は今でも片方で具象を描いていますが、それは徐々により大雑把なより抽象的な雰囲気に変わりつつあります。勿論すべてをそうしようと思っているわけではありません。しかし、この部分は具象絵画においても、その描画の重要なヒントが隠れていることに私は気づきました。非常に個人的な部分でです。

それは描画の初期を眺めると、過去のものと明らかに違ってきていることを認識します。月日があっと言う間に過ぎていくことを思えば、自分の取り組みはほとんど虫の歩行でしかありませんがしかし、どうせここまで来たらという感じで取り組んでおります。