2026年6月13日土曜日

筆のままに


少々遊んでいるともいえるけど、この頃はまた筆とかを変えてあれこれやっています。筆ひとつ変えるだけでかなり違った跡を残す。これが面白いと感じるようになりました。こういう状態からどこへでも進める。そこで迷いが生じるのですが、それだって結構なことです。

筆は徹底して安物。ケチっているのではなく、(半分くらいはあるかな)その方が断然面白いのです。そもそも筆である必要もありません。なんでも使うことができます。

子供の時代にこういうことをやると結構面白いと思うのです。あれこれと考えない。大人はやっぱりこの辺が面白いと思ったら細工する心が芽生える。それは当たり前で、だからその人の意図した作品ができるのでしょうが、一方子供(幼児)は必ずしもそれを考える必要がない。その辺の違いが出て来るかどうかもなかなか興味深いものです。

勿論、私はもう子供に戻ることはできません。こんな場合はなるべく作品にしようというを捨てるのですね。捨てきれないでも結構。なんでもいいのです。

2026年6月5日金曜日

夢魔

まあ…タイトルなんか付けようがないなこれじゃ。でも、私がそもそも絵を描きたかったのはミステリーホラー系なのです。そればっかりという訳にもいかず色んなものを描いているけど、本筋はここ。ミステリーホラーオカルト系はファンが多いと思うのですが、実はブログの閲覧などは少ないように思います。動画なら多いのかな。きっと文字とかにしても面白くないのでしょうね。やっぱり映像が強い。それも静止画は弱い。

私はモノクロが好きなのでこの類が多いのですが、これも明るい色を使ったらまったく別の印象になります。絵画なんてええ加減なものです。でもそこが面白いのですよ。

これだって別にどう見てくれても良いようなものです。案外半分に切った方が面白かもしれない。この場合、ぼんやり眺めていて所々妙な顔が隠れている感じがして、私の場合はこの向きです。

いつも言っていますが、何かを描こうとして描く場合とそんなのを決めないで成るがままの絵があります。それは出たとこ勝負。そういうと簡単な気もしないでもないのですが、実は意外に難しい。それで興味の対象になるものができるかどうかはまた別なのですよね。

タイトルは…まあね、昔そんなタイトルの海外ポルノがありました。どんな映画だったかはもちろん尻ません。看板見ただけ。物凄く古い映画です。最近のじゃなくて大昔の、多分イタリア映画。ポルノと言っちゃ叱られるかな。

2026年5月25日月曜日

妙にこういうのが良いんだな

某陸橋下のトンネル。 私が苦労して(でもないけど)やってるのより全然いいんだ。ロボットかなにかの顔にも見えますね。


垂れているのだって見事にアートだ。それを意図しない故にアートになるのですよ。作為から遠いのが面白いのです。



何を貼り付けてあったのかなとちょっとだけ思いますがね。
壁ってそもそもが興味深いのです。

2026年5月21日木曜日

気苦労と浮気性

この頃家の周りが冴えないのです。近所の動向とか家のメンテナンスとかでやることが増えて、近所ごとはイライラ気苦労に繋がるし家のメンテはそれとともに金銭の負担が伴います。家が古いからしょうがないのですが、あまり手入れするのも考えもの。私は適当に古いのが好き。絵もそれに近いですね。

いっそあちこちやり替えてやろうかとたまに思ったりするのですが、やり始めるとそれも大変で、しかもやることが多すぎていつも途中で断念してしまいます。

本音を言うと絵もそれに近いですね。ある時はこの雰囲気で、とかあれこれ思うのですが、それもいくらも進展のないまま挫けてしまいます。

なんでだろうなと思いながら、小学校時代の先生なんかの評価を思い出します。なんでも長続きしない、飽きっぽい。

飽きっぽいというのは、今や単純に浮気性なんでしょうね。それで生きてきたので今さらどうにもならない。絵だってどうにもならない。

でも家のメンテだけはあれこれとやっているのです。ここの住んでいる間はね。

わっはっは。

あ、そうそう…、近所ごとに関しては、なんだか以前と雰囲気が違うのですよ。知らない間に全然無反応な人が越してきている。ロボットみたいに歩いている。

うーん。近所が変というのは、ちょっとばかりこれも気苦労なのですよ。浮気性に気苦労があるのかどうかわからないですが、あるのです。

2026年5月18日月曜日

木漏れて見えるものが好き


居酒屋をはしごする途中。 街灯りの木漏れ。私にはとっても魅力。

木漏れ日がそもそも魅力的なものだからつい目が行ってしまう。

いつも思うのです。この辺をなんとかできないかなって

思うばっかりで進まない。そのうち何とかしたいけど。

2026年5月14日木曜日

似たようなことばかりやってるけど

暗中模索。それが正直なところ。でも何かになるような気がする。あれこれやっているうちに面白いものが出る。でなければそれまで。この頃の私は単なる古い壁のひび割れとかに好奇の目が行ってしまうのです。ごわごわの樹皮とか。道路の裂け目とか。

それが何故か知れないけど、そである限りは素直にそこに従っておこうという状態です。何かを世間に問う等ということはない。もうそんなことには興味がありません。だからこれは、非常に小さな、完全に個人の領域の楽しみです。

上から絵具を垂らして勝手にできるイメージを面白いと思うなら、この感じは理解できると思います。ただ、私のやることにそんな出来の良いものはありません。このブログの狙いはそこではないのです。

あっはっは、別にどこでもないけどね。模索をするのがここの仕事です。

2026年5月9日土曜日

ただ描くままにが面白く

 

その辺の絵具でただ適当に、思いつくまま描いてみたら一体なにが見える。海の上を行く船に見えないこともないし荒れ地の向こうの工場にも見えなくもない。言ってしまえばそれが、ただ好きで描いているようなものです。このままでも充分に具象とも言えるかもしれませんが、でもより具象へ進んだら大抵失敗する。なんだかおもしろくなくなるのですね。これは経験です。


私の場合、勝手気ままをやっているから描いているようなもので、最初に狙いがあって完成に持って行くことがほとんどありません。それで十分に楽しんでいるのです。筆跡を言えば、それこそ本当にピッ!と言う感じで乗せるのが好きでし、早く言えば筆を楽しんでいるとでもいうのでしょうか、でもそうすると他の道具を使ったときには楽しみはないのか。そんなことはありません。何を使っても共通するものがあって、この辺の説明はやや理屈っぽくなるし退屈ですからやめておきます。


部分的にみれば、そこから別のイメージに発展できそうなところが沢山あります。私はしょっちゅうやるのですが、時には逆さまが面白かったりします。しかしこうやって描いていることそのものが、なぜ何だろうなという気が消えません。何の因果でしょ。

2026年4月30日木曜日

何かの表面

 


このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。

それはものの表面に現れるものと言えます。

街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。

そのどこが?

そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。


でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。

2026年4月24日金曜日

成り行きのままに


それこそ目論見もなく、ぼんやりと筆を運んで勝手にできるイメージから連想する、ということは以前にも述べています。それが何に繋がっていくか、ということについてはもう考えることはありません。それがあっても良いしなくても良い。

そういうことを言うとほんとかなと訝る人があるかも知れないけど、もう時間を考えてもそれがありません。長い中断があったので、私は人生的な時間をかなり無駄にした感じです。といって中断がなくてもどれほどのものが積みあがったかなどということはまったく推し量れません。まあ、どっちにしたって大したことはない。その辺の位置で楽しんでいるのです。

2026年4月17日金曜日

賃貸持ち家論争というのがあるけど

少し住まいがくたびれてきて手直ししているのですが、少しばかり出費があります。これは痛い。なにもなきゃなにもないのに--と言ったところでしょうがない。自分でもメンテをしているのですが自分でやっているよりは業者に来てもらった方が早いと悟りました。今のところに住まいして長いのでローンも終わってるけどボロ家。だましだまし住んでいる感じですね。過去に給湯器も二度入れ替えているし、それでも持ち家は払い終わると家賃に類するものがないので質素な貧乏生活が可能です。どこがどうなったって気楽なものだし。

しかしこれには異論があって、結局持ち家の方が金がかかるとかの論もあります。でもそれってちょっと変で、だったら賃貸の大家さんはボランティアじゃないですか。それに大家さんは過去の経験だけど、部屋が傷んでもそんなに気安く直してくれません。

私がやってみたいのは、極貧とも言えるところに住んでそれでも結構気楽というのをやってみたかったのですが、近づきつつありますね。

近所にはもっとあるのですよ。これでよく住んでいるな--なんてところが。なかを見てみたい気がします。

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そういう状態でコツコツと、それはまったく描けるときだけの絵画制作。これも気楽にと思っています。描いて今更の感もあるのですがね。

先日の画像に色を重ねて加工しました。

2026年4月8日水曜日

何に見えるだろう


熊かな。 別のお化け?

これは勝手にできた模様です。これも偶然の産物。

苦労して描いたものとどう違うだろう。

このごろの私にはそれが分からなくなりつつあります。

だから、このブログは成り行きのまま。

2026年4月3日金曜日

露出した根っこのイメージ

描画途上を思ったらかなりずれてしまって物足りないが、普段こんなものばかり描いている。露出した木の根っこ。ずれてしまったと言うのは、もっと大雑把で荒々しくやりたかったということだが、まあそれはしょうがない。何事も成り行きのままだ。結果にはあまりこだわらない。そういうことにしよう。

飲んだ帰りに公園の地面から露出した根っこに躓いて転倒したことがある。こんなに群れて露出したところじゃないが見事にズッテーン。メガネも壊れてしまったが幸い顔面をちょっと打ったくらいで重大には至らなかった。老いてくると公園でさえ危ないんだな。

2026年3月30日月曜日

怒涛


そう見えないかな。 ここから進めようでなんとかなりそうな気もするけど。本当は別を描いていて、見方を変えてやればそっちへも行けないこともない。その辺が個人的な関心どころなのです。どう転がるか知れない。これも偶然を楽しむ部分ですね。ふふふ。

2026年3月24日火曜日

これは何だろうか

描いている本人がそれを問うてもしょうがないけど、そんな感じになりつつあるのですね。ある具象的なイメージを描いていたのですが、そっちへ向かって走るよりちょっとずれてみようか、そんな気になっているのです。描いているといつもそんな迷路にはまります。

でも、その類の迷路はとっても楽しい。何が生まれるか本人もわからない。これだってこれからずっと絵具を乗せていきます。するとはっきりしてくるでしょうが、しない方が良いともいえる。別の方向に進みたくもある。難しいです。ふふふ…。

この絵は100均で売られている超安物の筆、それもわざわざ細筆を使って描いたものです。勿論ここからは別の筆も使います。しかし安物の筆を思い切り押しつぶしてイカのように足を広げて、それを押し付け擦るようにして描いていきます。筆は様々な顔を見せます。そこはかなり面白いところです。結論を言うと、これはスクラップを描いているのです。

絵はお遊びではないとの考えもあるでしょうが、それで良いと思います。

2026年3月17日火曜日

日々わからないまま描いている

絵のブログではなくて、私は別ブログを並行して幾つかを運用しています。どれも皆どうということのない気楽なブログで、更新にも気を使いません。久しく開いたと思ったら何か更新する。その程度です。

でもそういうブログって割と楽しくて、枕もとのメモ帳にでも書いておればよいようなものを記事にしたりします。でも時々思うのです。これって意味あるのかな…。

意味を求め始めたら私たちの生き方は突然重くなります。だって、日ごろ勤めに出ていることだって同じことです。給料を得るため?なら何のために給料を?食べるため?何のために食べる?永遠に尽きません。

2026年3月5日木曜日

塗りつぶしただけだが

妙にこういうのがすきになりました。最近特に…。勿論この段階では形になりません。言葉通りの形ではなくて、どう言えばよいのか迷うのですが、なんとなくわかっていただけると思います。


つまり面白い要素がここには見えていて、しかし今の私にはそれを具体化できない。悩みの多いことです。見えているものを描くだけでも大変なのに、ぼんやり頭の中にあるものをイメージ化するのはとても大変。多分、ずっと悩んだままで終わりがないのでしょうね。でも意図して描いたものより断然私には興味深い。

このブログではほぼこのような実験的なものばかりを公開していますが、元々アートを敢えて目指さないを目的にしています。それを意識するとちょっと崩れるのですね。とっくに崩れているのですが、興味深さも失われるということです。

駄文を垂れていても始まりません。描くことに専念しましょう。

2026年3月3日火曜日

本日も挫けている

これを挫けると言って良いのか、自分でもわかりません。しかしとにかく、気持ちが全然乗らない。この理由はある程度想像できます。少々煩雑なことが多すぎた。そっちはそっち、こっちはこっちで気持ちを分けるのですが、実際はそれもなかなか難しい。



そんな時でも、何か描かねばと気持ちが焦る。焦る必要って、よく考えてみると実はないのだけど、ここが気持ち的貧乏性というか、あまりおおらかになれないのです。

そんな時は、なるべく何かを描こうではなくてとにかく筆を握ってみる。描けないでも良い。気持ちがむしゃくしゃしたり焦ったりの時は休むのも悪くはないし、実際そうするときもあるのだけど、逆にむしゃくしゃしたまま出来損ないを描いてみる。まあ、そんなこともいいんじゃないかって、時折はそんな気持ちになる。

つまり、もう成り行きでよいのです。今更何もない。このブログは元から成り行きだし、気持ちもずっと挫けたまま。それでも生きている訳で…。

2026年2月26日木曜日

気持ちは崖を転がっている

この頃、ろくなことがありません。うっかりミスばかりしていて、全く本当に大丈夫かと思うことが多いのです。絵なんて別にどうってことない世界だけど、現実はそうはいかない。間違うと恥をかいたりするだけだったらまだしも、あの人変じゃないとか思われかねない。


思われてもいいですがね別に。それで貯金が減るわけじゃない。とはいえ、いよいよ何かが来つつあるなと、そろそろ観念しつつあるところです。人間諦めが肝心などというけど、まだまだいけるつもりでいたらある日ボッテーンとこけたりします。実際居酒屋の帰りに既に何度も転んでいるのです。

2026年2月14日土曜日

描くものは得体もしれず

何かわからないものをずっと描いています。描くというより意図もせず筆を走らせて勝手にできる筆跡のイメージです。こんなものでもじっと眺めていると何かが見えてくる。


随分気の長い話ですがこのブログはそういうところです。そのうち何かの間違いで何かが生まれる。生まれないでも良い。

とまあのんきに構えているけれど、実はそろそろ慌てているのです。こんなの描いている時か、することは他にあるだろう。あるのですが、そっちは全然やるきにならない。でもやらなきゃいけないことなのです。こんなときどうしたものか。切羽つまらなきゃ何もやらない。私はずっとそんな生き方でした。

そんな怠け者が絵を描いているのだからなにがどうなる訳でもないと自分でもわかっているのです。でも、時として描くのは私には重要なのです。それがなんであるかは関係ない。

いつものごとく、これも筆を動かすがままになったものです。これならいっそお猿さんにでも描かせた方が面白いかもしれません。私もそう思います。しかしそうとばかりは言えないと片方では思うのです。いざとなれば、なかなかいざとならないのですが、そのうちきっと…そんな日々を送っています。そして時間だけが過ぎていく。

なんと残酷なことでしょう。あまりに残酷過ぎてそれはもう考えますまい。かくして意味不明な足跡だけが残るのです。

2026年2月7日土曜日

あれこれとあって絵がお留守

身近な事情で少々煩わしい思いをしていました。私はもうそれなりの年齢で、そろそろ暮らしをコンパクトにしなければと思い始めたのです。そう思うと、最早のんびり絵を描いているわけにもいかないのが現実ですが、さりとてそっちのことも全然進みません。


ひとつ家のことをやり始めたらなかなか始末がつきません。途中でやめてしまって様々が散乱したりのままになっています。世間に細々したことは言いませんが、私は家族に一切の面倒を残された形なので、あれこれやっているうちに憤懣すら沸き起こってきます。

しかし絵は絵で頭を切り替えて進めましょう。今更絵を描いて何になるということもあるし、その進み具合はカタツムリほどもありませんが。

2026年1月11日日曜日

坑口

更新できない間に新年を迎え、さらに10日以上過ぎてしまった。何の実りもないように見えるこのようなことをしていてよいのかと思いつつやっていることは同じ。アートは私にとって、今や単純に頭の体操になってしまいました。でもまあ、良いのですそれで。それで十分に楽しい。苦しいことも多いですがね。


これは、何気に勝手に生まれたイメージで、ぼんやり眺めていると破壊された基地か或いは廃坑の入り口のように見えてきたのです。適当なタイトルをつけています。企んでそうしたわけではないのですが、パターン化されたものが重なるようなイメージで、我々が何かを描こうとしてうまく行かないとき、ここにはそのヒントがあるように思うのです。

これをもとに、もっと抽象的に分解したイメージを描こうと思ったのですが、全然うまく行きません。相変わらず偶然に勝てないでいます。この辺の研究がまだまだ捗っていないということでしょう。私は今でも片方で具象を描いていますが、それは徐々により大雑把なより抽象的な雰囲気に変わりつつあります。勿論すべてをそうしようと思っているわけではありません。しかし、この部分は具象絵画においても、その描画の重要なヒントが隠れていることに私は気づきました。非常に個人的な部分でです。

それは描画の初期を眺めると、過去のものと明らかに違ってきていることを認識します。月日があっと言う間に過ぎていくことを思えば、自分の取り組みはほとんど虫の歩行でしかありませんがしかし、どうせここまで来たらという感じで取り組んでおります。