このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。
それはものの表面に現れるものと言えます。
街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。
そのどこが?
そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。
でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。
気が向くまま思うままなにひとつ方向性を持たない必ずしもアートを目指さないアートブログです
このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。
それはものの表面に現れるものと言えます。
街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。
そのどこが?
そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。
でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。
それこそ目論見もなく、ぼんやりと筆を運んで勝手にできるイメージから連想する、ということは以前にも述べています。それが何に繋がっていくか、ということについてはもう考えることはありません。それがあっても良いしなくても良い。
そういうことを言うとほんとかなと訝る人があるかも知れないけど、もう時間を考えてもそれがありません。長い中断があったので、私は人生的な時間をかなり無駄にした感じです。といって中断がなくてもどれほどのものが積みあがったかなどということはまったく推し量れません。まあ、どっちにしたって大したことはない。その辺の位置で楽しんでいるのです。
少し住まいがくたびれてきて手直ししているのですが、少しばかり出費があります。これは痛い。なにもなきゃなにもないのに--と言ったところでしょうがない。自分でもメンテをしているのですが自分でやっているよりは業者に来てもらった方が早いと悟りました。今のところに住まいして長いのでローンも終わってるけどボロ家。だましだまし住んでいる感じですね。過去に給湯器も二度入れ替えているし、それでも持ち家は払い終わると家賃に類するものがないので質素な貧乏生活が可能です。どこがどうなったって気楽なものだし。
しかしこれには異論があって、結局持ち家の方が金がかかるとかの論もあります。でもそれってちょっと変で、だったら賃貸の大家さんはボランティアじゃないですか。それに大家さんは過去の経験だけど、部屋が傷んでもそんなに気安く直してくれません。
私がやってみたいのは、極貧とも言えるところに住んでそれでも結構気楽というのをやってみたかったのですが、近づきつつありますね。
近所にはもっとあるのですよ。これでよく住んでいるな--なんてところが。なかを見てみたい気がします。
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そういう状態でコツコツと、それはまったく描けるときだけの絵画制作。これも気楽にと思っています。描いて今更の感もあるのですがね。
先日の画像に色を重ねて加工しました。
描画途上を思ったらかなりずれてしまって物足りないが、普段こんなものばかり描いている。露出した木の根っこ。ずれてしまったと言うのは、もっと大雑把で荒々しくやりたかったということだが、まあそれはしょうがない。何事も成り行きのままだ。結果にはあまりこだわらない。そういうことにしよう。
飲んだ帰りに公園の地面から露出した根っこに躓いて転倒したことがある。こんなに群れて露出したところじゃないが見事にズッテーン。メガネも壊れてしまったが幸い顔面をちょっと打ったくらいで重大には至らなかった。老いてくると公園でさえ危ないんだな。