2026年7月30日木曜日

公開する必要は既にないのに

描いても、もう世間に見せる必要はなくなった。 描くことがもうそういう意味ではなくなったのです。ブログは記事のための記事は書かない。するとブログは完全に気ままになる。もう少しましな展開ができると思っていたけど、そろそろ時間が無くなりつつある。残り時間は少なくなりつつ、精々こんなことをやっているのかと思うと、なんだか妙に情けない。

いえいえ、今頃になってそんなんじゃいけません。そんなことはずっと前に分かっていたはずです。ここでやっていることなんか別に大したことじゃないのに、ひとつのゴールを欲しがったりする。それって違うんじゃないかと最近は思い始めたのです。

心境の変化?

それはもう毎日。朝令暮改どころか昼には変わる。そもそも途中で放ったらかして、何を描こうとしていたのか忘れているような絵の方が面白く感じる。これってどうなのよとか、まあ日々迷うのでありますね。

でもそれでも良いのです。日々に注文は付けない。目的もゴールもない。ついにここはそんなブログになりました。

迷うのがこのブログ。

2026年7月24日金曜日

筆のままに--5


こういうのはそもそもはごく普通にある物を描こうとしたものですが、むしろ途中からずれた方が面白いなと感ずるものです。そっちへ行ってしまうか初期の狙いを歩むか。どっちにしたって大したものにはならないのですが、そこを悩むのも脳みそへの刺激と言えば言いすぎか。

何度も描き直してチャレンジする。これが良いのだとの意見もあります。あれこれ考えることは悪いことではないでしょう。しかし問題はそこです。具象へ行きたい気も大きいのです。しかしもっとパターン化して単純化した方が絶対に面白い。同時にそう思うのです。

最終的には完全に具象になるとしてもその初期段階はかなり大雑把なので、その時点で別の観かたをすることはいくらでもできるのです。最初から何らかの狙いがあればそれを目指すしかありません。しかしどうにでもなる時は、いやむしろそれが危ないのかもしれない。

時にはそんなことも思うのです。危なくったってどうってことないですがね。

2026年7月14日火曜日

筆のままに--4


この頃は眼の見え方が変。落ち着くかと思ったがどうやら少しずつ悪化している。術後一年と二か月。もうちょっとマシになるかと期待したがもはやそうはならないようだ。手術は悪化を止めることを期待するのみである、と医者もそう言ったし普通にどこの文書でも述べられている。だから、しょうがないなとは思っているが、症状は両眼にあって左をそのまま放置している。段々とそちらも悪くなってくるわけだ。

さてはだからこんな絵ばかり描いているのかということだけど、当たらずともというところだな。まあ坦々とやりましょう。この手の絵なら実験的なものだし、案外悪い方が面白いかもしれない。まあ、そんな風に考えて置こう。あがいてもしょうがない。

2026年7月6日月曜日

筆のままに--3

どうみても良いものです。


逆さまでもOK。

描こうと思ったら双方から別のイメージに発展可能です。気ままに考えるのが楽しい。

と言うか、何等の形を描くよりこっちが面白い。束縛がないからかもしれないけど。

2026年6月28日日曜日

無題--とするしかないのだが


ずっと無題ですがね、絵もブログタイトルも無題。ここでやっていることは精々そんなことです。意図せずに勝手にできるイメージは時として色んな暗示を含んでいると思います。しかも、描くよりこれの方が断然楽です。少なくともブログの更新という意味では。

この辺りは悩むところです。私は極一般的な具象以外の全てを別カテゴリーにして取り組んでいますが、そこには具象画を描く時と同様、描く--という作業の多いものと或いは何らかの作業中に勝手にできるイメージに注意を向けようとの考えがあります。

このイメージはどう回転して見ても良いものです。勝手に出来たものなのでタイトルもない。無理やりはできますがあまり意味はない。

しかしそこで考えるのです。この類をもとにしてペインティングで表して、もっともらしいタイトルを付ければ仕事は変わってくるものなのか。うまく表現できないのですが、つらつらといつも考えるところです。現実に多くの現代抽象系の作家さんたちは身の回りに無作為に散らばっているイメージの面白さを感じて大事にしているように思われます。

具象画そのものも、何故描くのか、に関しては難しいところですし、この類となると更に難しいです。なんといったら良いのか。