居酒屋をはしごする途中。 街灯りの木漏れ。私にはとっても魅力。
木漏れ日がそもそも魅力的なものだからつい目が行ってしまう。
いつも思うのです。この辺をなんとかできないかなって
思うばっかりで進まない。そのうち何とかしたいけど。
気が向くまま思うままなにひとつ方向性を持たない必ずしもアートを目指さないアートブログです
居酒屋をはしごする途中。 街灯りの木漏れ。私にはとっても魅力。
木漏れ日がそもそも魅力的なものだからつい目が行ってしまう。
いつも思うのです。この辺をなんとかできないかなって
思うばっかりで進まない。そのうち何とかしたいけど。
暗中模索。それが正直なところ。でも何かになるような気がする。あれこれやっているうちに面白いものが出る。でなければそれまで。この頃の私は単なる古い壁のひび割れとかに好奇の目が行ってしまうのです。ごわごわの樹皮とか。道路の裂け目とか。
それが何故か知れないけど、そである限りは素直にそこに従っておこうという状態です。何かを世間に問う等ということはない。もうそんなことには興味がありません。だからこれは、非常に小さな、完全に個人の領域の楽しみです。
上から絵具を垂らして勝手にできるイメージを面白いと思うなら、この感じは理解できると思います。ただ、私のやることにそんな出来の良いものはありません。このブログの狙いはそこではないのです。
あっはっは、別にどこでもないけどね。模索をするのがここの仕事です。
その辺の絵具でただ適当に、思いつくまま描いてみたら一体なにが見える。海の上を行く船に見えないこともないし荒れ地の向こうの工場にも見えなくもない。言ってしまえばそれが、ただ好きで描いているようなものです。このままでも充分に具象とも言えるかもしれませんが、でもより具象へ進んだら大抵失敗する。なんだかおもしろくなくなるのですね。これは経験です。
私の場合、勝手気ままをやっているから描いているようなもので、最初に狙いがあって完成に持って行くことがほとんどありません。それで十分に楽しんでいるのです。筆跡を言えば、それこそ本当にピッ!と言う感じで乗せるのが好きでし、早く言えば筆を楽しんでいるとでもいうのでしょうか、でもそうすると他の道具を使ったときには楽しみはないのか。そんなことはありません。何を使っても共通するものがあって、この辺の説明はやや理屈っぽくなるし退屈ですからやめておきます。
部分的にみれば、そこから別のイメージに発展できそうなところが沢山あります。私はしょっちゅうやるのですが、時には逆さまが面白かったりします。しかしこうやって描いていることそのものが、なぜ何だろうなという気が消えません。何の因果でしょ。
このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。
それはものの表面に現れるものと言えます。
街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。
そのどこが?
そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。
でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。
それこそ目論見もなく、ぼんやりと筆を運んで勝手にできるイメージから連想する、ということは以前にも述べています。それが何に繋がっていくか、ということについてはもう考えることはありません。それがあっても良いしなくても良い。
そういうことを言うとほんとかなと訝る人があるかも知れないけど、もう時間を考えてもそれがありません。長い中断があったので、私は人生的な時間をかなり無駄にした感じです。といって中断がなくてもどれほどのものが積みあがったかなどということはまったく推し量れません。まあ、どっちにしたって大したことはない。その辺の位置で楽しんでいるのです。