2026年7月14日火曜日

筆のままに--4


この頃は眼の見え方が変。落ち着くかと思ったがどうやら少しずつ悪化している。術後一年と二か月。もうちょっとマシになるかと期待したがもはやそうはならないようだ。手術は悪化を止めることを期待するのみである、と医者もそう言ったし普通にどこの文書でも述べられている。だから、しょうがないなとは思っているが、症状は両眼にあって左をそのまま放置している。段々とそちらも悪くなってくるわけだ。

さてはだからこんな絵ばかり描いているのかということだけど、当たらずともというところだな。まあ坦々とやりましょう。この手の絵なら実験的なものだし、案外悪い方が面白いかもしれない。まあ、そんな風に考えて置こう。あがいてもしょうがない。

2026年7月6日月曜日

筆のままに--3

どうみても良いものです。


逆さまでもOK。

描こうと思ったら双方から別のイメージに発展可能です。気ままに考えるのが楽しい。

と言うか、何等の形を描くよりこっちが面白い。束縛がないからかもしれないけど。

2026年6月28日日曜日

無題--とするしかないのだが


ずっと無題ですがね、絵もブログタイトルも無題。ここでやっていることは精々そんなことです。意図せずに勝手にできるイメージは時として色んな暗示を含んでいると思います。しかも、描くよりこれの方が断然楽です。少なくともブログの更新という意味では。

この辺りは悩むところです。私は極一般的な具象以外の全てを別カテゴリーにして取り組んでいますが、そこには具象画を描く時と同様、描く--という作業の多いものと或いは何らかの作業中に勝手にできるイメージに注意を向けようとの考えがあります。

このイメージはどう回転して見ても良いものです。勝手に出来たものなのでタイトルもない。無理やりはできますがあまり意味はない。

しかしそこで考えるのです。この類をもとにしてペインティングで表して、もっともらしいタイトルを付ければ仕事は変わってくるものなのか。うまく表現できないのですが、つらつらといつも考えるところです。現実に多くの現代抽象系の作家さんたちは身の回りに無作為に散らばっているイメージの面白さを感じて大事にしているように思われます。

具象画そのものも、何故描くのか、に関しては難しいところですし、この類となると更に難しいです。なんといったら良いのか。

2026年6月22日月曜日

筆のままに--2


本来の描画目的とはちょっと違った目で見ると面白いことがあります。もっとも、私の場合はそればっかりで、ということは実はうろうろしてばかりで全く進まないことも多いのですが、そこはもう流れに任せているのです。これも本来は樹木を描いていたのですが、むしろパターンで表現したほうが面白いかなと思いました。

普段は普通に具象画を描いています。ところがいつも、このまま具象にするのはちょっと面白くないと感じることが多くなっています。この頃の習慣みたいなもので完全に私の五感に沿っています。ならばそちらへ、とまあそんな感じでなるがままに描いています。それがどこに繋がるか、なんてことはもう考えない。繋がろうがどうしようが私にはもうどうでも良いようになりました。

道具は相変わらず粗末なもので描いています。全てはホームセンターで手に入ります。とくに筆などは100均などのできの悪い物の方が制作が愉快だったりします。当家に近くにこれという画材屋さんがないので、この面では問題が片付きました。

2026年6月13日土曜日

筆のままに


少々遊んでいるともいえるけど、この頃はまた筆とかを変えてあれこれやっています。筆ひとつ変えるだけでかなり違った跡を残す。これが面白いと感じるようになりました。こういう状態からどこへでも進める。そこで迷いが生じるのですが、それだって結構なことです。

筆は徹底して安物。ケチっているのではなく、(半分くらいはあるかな)その方が断然面白いのです。そもそも筆である必要もありません。なんでも使うことができます。

子供の時代にこういうことをやると結構面白いと思うのです。あれこれと考えない。大人はやっぱりこの辺が面白いと思ったら細工する心が芽生える。それは当たり前で、だからその人の意図した作品ができるのでしょうが、一方子供(幼児)は必ずしもそれを考える必要がない。その辺の違いが出て来るかどうかもなかなか興味深いものです。

勿論、私はもう子供に戻ることはできません。こんな場合はなるべく作品にしようというを捨てるのですね。捨てきれないでも結構。なんでもいいのです。