2026年3月3日火曜日

本日も挫けている

これを挫けると言って良いのか、自分でもわかりません。しかしとにかく、気持ちが全然乗らない。この理由はある程度想像できます。少々煩雑なことが多すぎた。そっちはそっち、こっちはこっちで気持ちを分けるのですが、実際はそれもなかなか難しい。



そんな時でも、何か描かねばと気持ちが焦る。焦る必要って、よく考えてみると実はないのだけど、ここが気持ち的貧乏性というか、あまりおおらかになれないのです。

そんな時は、なるべく何かを描こうではなくてとにかく筆を握ってみる。描けないでも良い。気持ちがむしゃくしゃしたり焦ったりの時は休むのも悪くはないし、実際そうするときもあるのだけど、逆にむしゃくしゃしたまま出来損ないを描いてみる。まあ、そんなこともいいんじゃないかって、時折はそんな気持ちになる。

つまり、もう成り行きでよいのです。今更何もない。このブログは元から成り行きだし、気持ちもずっと挫けたまま。それでも生きている訳で…。

2026年2月26日木曜日

気持ちは崖を転がっている

この頃、ろくなことがありません。うっかりミスばかりしていて、全く本当に大丈夫かと思うことが多いのです。絵なんて別にどうってことない世界だけど、現実はそうはいかない。間違うと恥をかいたりするだけだったらまだしも、あの人変じゃないとか思われかねない。


思われてもいいですがね別に。それで貯金が減るわけじゃない。とはいえ、いよいよ何かが来つつあるなと、そろそろ観念しつつあるところです。人間諦めが肝心などというけど、まだまだいけるつもりでいたらある日ボッテーンとこけたりします。実際居酒屋の帰りに既に何度も転んでいるのです。

2026年2月14日土曜日

描くものは得体もしれず

何かわからないものをずっと描いています。描くというより意図もせず筆を走らせて勝手にできる筆跡のイメージです。こんなものでもじっと眺めていると何かが見えてくる。


随分気の長い話ですがこのブログはそういうところです。そのうち何かの間違いで何かが生まれる。生まれないでも良い。

とまあのんきに構えているけれど、実はそろそろ慌てているのです。こんなの描いている時か、することは他にあるだろう。あるのですが、そっちは全然やるきにならない。でもやらなきゃいけないことなのです。こんなときどうしたものか。切羽つまらなきゃ何もやらない。私はずっとそんな生き方でした。

そんな怠け者が絵を描いているのだからなにがどうなる訳でもないと自分でもわかっているのです。でも、時として描くのは私には重要なのです。それがなんであるかは関係ない。

いつものごとく、これも筆を動かすがままになったものです。これならいっそお猿さんにでも描かせた方が面白いかもしれません。私もそう思います。しかしそうとばかりは言えないと片方では思うのです。いざとなれば、なかなかいざとならないのですが、そのうちきっと…そんな日々を送っています。そして時間だけが過ぎていく。

なんと残酷なことでしょう。あまりに残酷過ぎてそれはもう考えますまい。かくして意味不明な足跡だけが残るのです。

2026年2月7日土曜日

あれこれとあって絵がお留守

身近な事情で少々煩わしい思いをしていました。私はもうそれなりの年齢で、そろそろ暮らしをコンパクトにしなければと思い始めたのです。そう思うと、最早のんびり絵を描いているわけにもいかないのが現実ですが、さりとてそっちのことも全然進みません。


ひとつ家のことをやり始めたらなかなか始末がつきません。途中でやめてしまって様々が散乱したりのままになっています。世間に細々したことは言いませんが、私は家族に一切の面倒を残された形なので、あれこれやっているうちに憤懣すら沸き起こってきます。

しかし絵は絵で頭を切り替えて進めましょう。今更絵を描いて何になるということもあるし、その進み具合はカタツムリほどもありませんが。

2026年1月11日日曜日

坑口

更新できない間に新年を迎え、さらに10日以上過ぎてしまった。何の実りもないように見えるこのようなことをしていてよいのかと思いつつやっていることは同じ。アートは私にとって、今や単純に頭の体操になってしまいました。でもまあ、良いのですそれで。それで十分に楽しい。苦しいことも多いですがね。


これは、何気に勝手に生まれたイメージで、ぼんやり眺めていると破壊された基地か或いは廃坑の入り口のように見えてきたのです。適当なタイトルをつけています。企んでそうしたわけではないのですが、パターン化されたものが重なるようなイメージで、我々が何かを描こうとしてうまく行かないとき、ここにはそのヒントがあるように思うのです。

これをもとに、もっと抽象的に分解したイメージを描こうと思ったのですが、全然うまく行きません。相変わらず偶然に勝てないでいます。この辺の研究がまだまだ捗っていないということでしょう。私は今でも片方で具象を描いていますが、それは徐々により大雑把なより抽象的な雰囲気に変わりつつあります。勿論すべてをそうしようと思っているわけではありません。しかし、この部分は具象絵画においても、その描画の重要なヒントが隠れていることに私は気づきました。非常に個人的な部分でです。

それは描画の初期を眺めると、過去のものと明らかに違ってきていることを認識します。月日があっと言う間に過ぎていくことを思えば、自分の取り組みはほとんど虫の歩行でしかありませんがしかし、どうせここまで来たらという感じで取り組んでおります。