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2025年12月2日火曜日

模索は続くけど

自分としても、これがどうなっていくかはあまりわかっていません。それでもいいやが私のアートです。アートと呼べるものなら。とにかく私には、今はこれが最も楽しいのです。


楽しいことだけをやっていると物事は時として外しがちです。悪戦苦闘で停滞しているように見えるときの方が後の実りが大きかったりします。つまりその双方がないと物事は進まない。今さら進んだところでどうなるかはともかく、生きている限りは人は行動するものです。

非常に個人的なことですが、言ってみればこれはただ筆を振り回している遊びのようなものです。同様のことを以前記しました。しかしそこが大事でして、アートなんぞと気取って言われてもそんなに大上段に振りかぶってやるものではない。そこは人の好き好きですが、私はそう思っているのでなるべくは意味ありげな難しい文言は避けています。結果も期待せずただ成り行きに任せる。それがこのブログの出発点でした。

以後もそれを守ろうと思います。とはいえ、成り行きなのでどうなったって構わないのですが…。ただ数年前には自分でも思っても居なかった方向なので、これはこれで興味深いことだと思っています。この上にどんどん絵具を重ねるので随分変わることでしょう。

2025年9月23日火曜日

無造作な筆跡から

そういうことをこの頃ずっと試しています。その内面白いことにならないか。面白くなくても良い、奇妙であっても良いのです。何がどうなったって知りません。


そう居直っちゃうとあれですがね、意図した描画よりもその方が面白い。もう随分昔からそうなってしまった。ならそれで良いではないかと思っている訳です。何も出なくてもそれで良いし。

ひとつ言えば、期待も込めずにただ筆を這わせる。これだけでも面白いのです。その時に妙な落ち着きを感じるのです。何故かはわかりません。

具象なら形を追わねばならない。それ自体がもう面倒なのです。面倒というのはちょっと理解されないかも知れません。普段普通に具象も描いており、それが辛いとか面倒とかいうのはちょっと違うかも知れません。だったら描けない。でも、何等も意図せずに思うままとはまるで違います。

100パーセント無造作で意図を持たない--というのはあり得ないかもしれない。しかも途中から色気が出る。あ、ここが面白いなと思ったらそこを何とかしてやろうと思う。これは意図です。だから完全に意図を持たないことはない。でも、それはそれとしても、これはこれで面白いのです。少なくとも私には。

絵を描くのに遊びではいけないとかの意見を時として耳にします。しかしそれは既に意図です。恐らく具象しか描かない人でしょうね。私はペンキ職人のシャツの染みにも面白さを感じるタイプでして。

無造作と意図しないというのはまた別の話ですが、それはまた思いついたときにでも…。

2025年5月10日土曜日

何気の落書きが面白い

何かを狙って描くことは描く人の概ねがそうであって、そこを充実させねば達せるものはないでしょう。しかしながら物事は、期待しないものからでも当たり前に生まれるものです。



何気もない描画でもない描画に、時々引っかかるものがあります。こういうことは何度も起きていて、いつかは描画のヒントになることと思うのです。特に描くものがやや抽象風に傾いてからはその傾向が強いです。これはダメだと思ったものに少し絵の具を被せるだけで別のイメージが浮かんでくることが少なくないのです。

もっとも、そこから結果的に成功に結び付く確率はまだ低いのですが、それもあまり気にせずに絵の具を扱うその時点を楽しむことができれば得るものは多いのではないかと思うのです。

まあ…、なんでも前向きでなければ進展はしません。どんな取り組みをしたって他人様が困ることはありません。なんでもやってみたいと思いますね。

これは遊びと考えてよいでしょう。が、遊びは非常に重要なものを含んでいます。