2026年9月15日火曜日

今年の夏は散々でした


しかもそれはなお続いています。家のことですが、放置できないところがまた発見されたのです。というより、これは私の全くのポカです。楽な方へ解釈をしてしまった。しかし事態は、実は腹の底で気づいていたようにもっと深刻だったのです。

以後は、何度も泥まみれになって工事をしているのですが、それがいけているかどうかは雨にならないとわかりません。しかも少々の雨では駄目。弱い雨なら何日も続くか、あるいは大雨です。どっちももううんざりですが、しょうがないです。それでだめならまたあれこれ推理して別のことをやるまでです。一度家の周りにある物を全部退かせて掘ってみないとわからないと思うのですが、現状ではできることに限度があります。なにしろ酷い蚊です。スプレーかけて頑張るのですが、あまり寒くない冬の入り辺りが一番よいでしょうね。道具だけはあれこれと買ってあるのです。

しかしながら、動画などでトラブルが発生した家のメンテ関連を以後毎日のように眺めるようになったのですが、これって本当に当家など可愛いものだと思えるようなところがあります。よく住めている。

そんな時、妙に元気づくのです。まだまだ大丈夫だ。やりようはある。まだまだ日曜大工の類です。

2026年8月31日月曜日

少しずつ改善か

絵のことじゃありません。家のこと。そういえば、この家の売り主が言っていたのを思い出したのです。あそこの排水のところを…。あまり真剣に聴いてなかったなあ。当家は戸建ての中古だけど、売り主が時々は自分で排水のチェックなどしていたのだろうか、物置にその手の道具も一応あるのでした。

昨日は、これで大丈夫かなと思ったところがまだ不十分で水をうっかりあふれさせてしまった。もう一度ワイヤーを通して、こんどは逆から通してそれなりにつまりが排出されて、今度こそ大丈夫な感じではある。わからないけど。

2026年8月26日水曜日

知らないままに

実は問題を抱えていたのにそれを知らないまま何年も生きていたのです。私の住まいのことです。どんな住まいでもいつかは古くなる。でも普段、大抵の人はそんなことを気にしないまま住んでいるのです。何か出るまでは…。

朽ちた木枠

全く迂闊だったのですが、変だなと思い始めたのはもう四年も前です。でも、物は皆古くなって朽ちていくのさと、鈍感に構えていました。普通の老朽化だ。以後ズルズルと四年。その間にいよいよ変だと思い始めて、住まいをあちこち点検することにしたのです。すると…。

2026年8月11日火曜日

ブログをやっててギョッとする

自分で言うのもなんですが、 このブログのような半ば捨てブログをやっていてギョッとするのは、ああ、前回の更新からもう半月経ったのかとかでして、とくに何かに振り回されている時はなにも出来ないうちに時間が過ぎていく感じです。特段世間に期待して公開しているものではないのであまり更新に熱心ではないのですが、ふと思うのです、毎日の更新を心がけているような人からすると、こんなブログをやっている人間には、ポッと時間が飛んだ感じもしないではないのです。

老いると増々時間は貴重だと思います。やるべきこととかを持っている人は充実しているから時間は経たないとかいう人もあるようですが、どうかなあ、と思う日々ですね。

で、相変わらず私は日々冴えないものばかり描いている。これで良いのかなと、ちょっとばかりの疑問で生きています。

2026年7月30日木曜日

公開する必要は既にないのに

描いても、もう世間に見せる必要はなくなった。 描くことがもうそういう意味ではなくなったのです。ブログは記事のための記事は書かない。するとブログは完全に気ままになる。もう少しましな展開ができると思っていたけど、そろそろ時間が無くなりつつある。残り時間は少なくなりつつ、精々こんなことをやっているのかと思うと、なんだか妙に情けない。

いえいえ、今頃になってそんなんじゃいけません。そんなことはずっと前に分かっていたはずです。ここでやっていることなんか別に大したことじゃないのに、ひとつのゴールを欲しがったりする。それって違うんじゃないかと最近は思い始めたのです。

心境の変化?

それはもう毎日。朝令暮改どころか昼には変わる。そもそも途中で放ったらかして、何を描こうとしていたのか忘れているような絵の方が面白く感じる。これってどうなのよとか、まあ日々迷うのでありますね。

でもそれでも良いのです。日々に注文は付けない。目的もゴールもない。ついにここはそんなブログになりました。

迷うのがこのブログ。

2026年7月24日金曜日

筆のままに--5


こういうのはそもそもはごく普通にある物を描こうとしたものですが、むしろ途中からずれた方が面白いなと感ずるものです。そっちへ行ってしまうか初期の狙いを歩むか。どっちにしたって大したものにはならないのですが、そこを悩むのも脳みそへの刺激と言えば言いすぎか。

何度も描き直してチャレンジする。これが良いのだとの意見もあります。あれこれ考えることは悪いことではないでしょう。しかし問題はそこです。具象へ行きたい気も大きいのです。しかしもっとパターン化して単純化した方が絶対に面白い。同時にそう思うのです。

最終的には完全に具象になるとしてもその初期段階はかなり大雑把なので、その時点で別の観かたをすることはいくらでもできるのです。最初から何らかの狙いがあればそれを目指すしかありません。しかしどうにでもなる時は、いやむしろそれが危ないのかもしれない。

時にはそんなことも思うのです。危なくったってどうってことないですがね。

2026年7月14日火曜日

筆のままに--4


この頃は眼の見え方が変。落ち着くかと思ったがどうやら少しずつ悪化している。術後一年と二か月。もうちょっとマシになるかと期待したがもはやそうはならないようだ。手術は悪化を止めることを期待するのみである、と医者もそう言ったし普通にどこの文書でも述べられている。だから、しょうがないなとは思っているが、症状は両眼にあって左をそのまま放置している。段々とそちらも悪くなってくるわけだ。

さてはだからこんな絵ばかり描いているのかということだけど、当たらずともというところだな。まあ坦々とやりましょう。この手の絵なら実験的なものだし、案外悪い方が面白いかもしれない。まあ、そんな風に考えて置こう。あがいてもしょうがない。

2026年7月6日月曜日

筆のままに--3

どうみても良いものです。


逆さまでもOK。

描こうと思ったら双方から別のイメージに発展可能です。気ままに考えるのが楽しい。

と言うか、何等の形を描くよりこっちが面白い。束縛がないからかもしれないけど。

2026年6月28日日曜日

無題--とするしかないのだが


ずっと無題ですがね、絵もブログタイトルも無題。ここでやっていることは精々そんなことです。意図せずに勝手にできるイメージは時として色んな暗示を含んでいると思います。しかも、描くよりこれの方が断然楽です。少なくともブログの更新という意味では。

この辺りは悩むところです。私は極一般的な具象以外の全てを別カテゴリーにして取り組んでいますが、そこには具象画を描く時と同様、描く--という作業の多いものと或いは何らかの作業中に勝手にできるイメージに注意を向けようとの考えがあります。

このイメージはどう回転して見ても良いものです。勝手に出来たものなのでタイトルもない。無理やりはできますがあまり意味はない。

しかしそこで考えるのです。この類をもとにしてペインティングで表して、もっともらしいタイトルを付ければ仕事は変わってくるものなのか。うまく表現できないのですが、つらつらといつも考えるところです。現実に多くの現代抽象系の作家さんたちは身の回りに無作為に散らばっているイメージの面白さを感じて大事にしているように思われます。

具象画そのものも、何故描くのか、に関しては難しいところですし、この類となると更に難しいです。なんといったら良いのか。

2026年6月22日月曜日

筆のままに--2


本来の描画目的とはちょっと違った目で見ると面白いことがあります。もっとも、私の場合はそればっかりで、ということは実はうろうろしてばかりで全く進まないことも多いのですが、そこはもう流れに任せているのです。これも本来は樹木を描いていたのですが、むしろパターンで表現したほうが面白いかなと思いました。

普段は普通に具象画を描いています。ところがいつも、このまま具象にするのはちょっと面白くないと感じることが多くなっています。この頃の習慣みたいなもので完全に私の五感に沿っています。ならばそちらへ、とまあそんな感じでなるがままに描いています。それがどこに繋がるか、なんてことはもう考えない。繋がろうがどうしようが私にはもうどうでも良いようになりました。

道具は相変わらず粗末なもので描いています。全てはホームセンターで手に入ります。とくに筆などは100均などのできの悪い物の方が制作が愉快だったりします。当家に近くにこれという画材屋さんがないので、この面では問題が片付きました。

2026年6月13日土曜日

筆のままに


少々遊んでいるともいえるけど、この頃はまた筆とかを変えてあれこれやっています。筆ひとつ変えるだけでかなり違った跡を残す。これが面白いと感じるようになりました。こういう状態からどこへでも進める。そこで迷いが生じるのですが、それだって結構なことです。

筆は徹底して安物。ケチっているのではなく、(半分くらいはあるかな)その方が断然面白いのです。そもそも筆である必要もありません。なんでも使うことができます。

子供の時代にこういうことをやると結構面白いと思うのです。あれこれと考えない。大人はやっぱりこの辺が面白いと思ったら細工する心が芽生える。それは当たり前で、だからその人の意図した作品ができるのでしょうが、一方子供(幼児)は必ずしもそれを考える必要がない。その辺の違いが出て来るかどうかもなかなか興味深いものです。

勿論、私はもう子供に戻ることはできません。こんな場合はなるべく作品にしようというを捨てるのですね。捨てきれないでも結構。なんでもいいのです。

2026年6月5日金曜日

夢魔

まあ…タイトルなんか付けようがないなこれじゃ。でも、私がそもそも絵を描きたかったのはミステリーホラー系なのです。そればっかりという訳にもいかず色んなものを描いているけど、本筋はここ。ミステリーホラーオカルト系はファンが多いと思うのですが、実はブログの閲覧などは少ないように思います。動画なら多いのかな。きっと文字とかにしても面白くないのでしょうね。やっぱり映像が強い。それも静止画は弱い。

私はモノクロが好きなのでこの類が多いのですが、これも明るい色を使ったらまったく別の印象になります。絵画なんてええ加減なものです。でもそこが面白いのですよ。

これだって別にどう見てくれても良いようなものです。案外半分に切った方が面白かもしれない。この場合、ぼんやり眺めていて所々妙な顔が隠れている感じがして、私の場合はこの向きです。

いつも言っていますが、何かを描こうとして描く場合とそんなのを決めないで成るがままの絵があります。それは出たとこ勝負。そういうと簡単な気もしないでもないのですが、実は意外に難しい。それで興味の対象になるものができるかどうかはまた別なのですよね。

タイトルは…まあね、昔そんなタイトルの海外ポルノがありました。どんな映画だったかはもちろん尻ません。看板見ただけ。物凄く古い映画です。最近のじゃなくて大昔の、多分イタリア映画。ポルノと言っちゃ叱られるかな。

2026年5月25日月曜日

妙にこういうのが良いんだな

某陸橋下のトンネル。 私が苦労して(でもないけど)やってるのより全然いいんだ。ロボットかなにかの顔にも見えますね。


垂れているのだって見事にアートだ。それを意図しない故にアートになるのですよ。作為から遠いのが面白いのです。



何を貼り付けてあったのかなとちょっとだけ思いますがね。
壁ってそもそもが興味深いのです。

2026年5月21日木曜日

気苦労と浮気性

この頃家の周りが冴えないのです。近所の動向とか家のメンテナンスとかでやることが増えて、近所ごとはイライラ気苦労に繋がるし家のメンテはそれとともに金銭の負担が伴います。家が古いからしょうがないのですが、あまり手入れするのも考えもの。私は適当に古いのが好き。絵もそれに近いですね。

いっそあちこちやり替えてやろうかとたまに思ったりするのですが、やり始めるとそれも大変で、しかもやることが多すぎていつも途中で断念してしまいます。

本音を言うと絵もそれに近いですね。ある時はこの雰囲気で、とかあれこれ思うのですが、それもいくらも進展のないまま挫けてしまいます。

なんでだろうなと思いながら、小学校時代の先生なんかの評価を思い出します。なんでも長続きしない、飽きっぽい。

飽きっぽいというのは、今や単純に浮気性なんでしょうね。それで生きてきたので今さらどうにもならない。絵だってどうにもならない。

でも家のメンテだけはあれこれとやっているのです。ここの住んでいる間はね。

わっはっは。

あ、そうそう…、近所ごとに関しては、なんだか以前と雰囲気が違うのですよ。知らない間に全然無反応な人が越してきている。ロボットみたいに歩いている。

うーん。近所が変というのは、ちょっとばかりこれも気苦労なのですよ。浮気性に気苦労があるのかどうかわからないですが、あるのです。

2026年5月18日月曜日

木漏れて見えるものが好き


居酒屋をはしごする途中。 街灯りの木漏れ。私にはとっても魅力。

木漏れ日がそもそも魅力的なものだからつい目が行ってしまう。

いつも思うのです。この辺をなんとかできないかなって

思うばっかりで進まない。そのうち何とかしたいけど。

2026年5月14日木曜日

似たようなことばかりやってるけど

暗中模索。それが正直なところ。でも何かになるような気がする。あれこれやっているうちに面白いものが出る。でなければそれまで。この頃の私は単なる古い壁のひび割れとかに好奇の目が行ってしまうのです。ごわごわの樹皮とか。道路の裂け目とか。

それが何故か知れないけど、そである限りは素直にそこに従っておこうという状態です。何かを世間に問う等ということはない。もうそんなことには興味がありません。だからこれは、非常に小さな、完全に個人の領域の楽しみです。

上から絵具を垂らして勝手にできるイメージを面白いと思うなら、この感じは理解できると思います。ただ、私のやることにそんな出来の良いものはありません。このブログの狙いはそこではないのです。

あっはっは、別にどこでもないけどね。模索をするのがここの仕事です。

2026年5月9日土曜日

ただ描くままにが面白く

 

その辺の絵具でただ適当に、思いつくまま描いてみたら一体なにが見える。海の上を行く船に見えないこともないし荒れ地の向こうの工場にも見えなくもない。言ってしまえばそれが、ただ好きで描いているようなものです。このままでも充分に具象とも言えるかもしれませんが、でもより具象へ進んだら大抵失敗する。なんだかおもしろくなくなるのですね。これは経験です。


私の場合、勝手気ままをやっているから描いているようなもので、最初に狙いがあって完成に持って行くことがほとんどありません。それで十分に楽しんでいるのです。筆跡を言えば、それこそ本当にピッ!と言う感じで乗せるのが好きでし、早く言えば筆を楽しんでいるとでもいうのでしょうか、でもそうすると他の道具を使ったときには楽しみはないのか。そんなことはありません。何を使っても共通するものがあって、この辺の説明はやや理屈っぽくなるし退屈ですからやめておきます。


部分的にみれば、そこから別のイメージに発展できそうなところが沢山あります。私はしょっちゅうやるのですが、時には逆さまが面白かったりします。しかしこうやって描いていることそのものが、なぜ何だろうなという気が消えません。何の因果でしょ。

2026年4月30日木曜日

何かの表面

 


このごろの取り組み--と言えるほどのものなら--は何か。

それはものの表面に現れるものと言えます。

街を歩けば壁の模様に面白さを見出します。他には樹皮なども面白いです。

そのどこが?

そう問われれば返す言葉がありません。単なる物好き。


でも凡そ人も世もアートもそうなのですよ。

2026年4月24日金曜日

成り行きのままに


それこそ目論見もなく、ぼんやりと筆を運んで勝手にできるイメージから連想する、ということは以前にも述べています。それが何に繋がっていくか、ということについてはもう考えることはありません。それがあっても良いしなくても良い。

そういうことを言うとほんとかなと訝る人があるかも知れないけど、もう時間を考えてもそれがありません。長い中断があったので、私は人生的な時間をかなり無駄にした感じです。といって中断がなくてもどれほどのものが積みあがったかなどということはまったく推し量れません。まあ、どっちにしたって大したことはない。その辺の位置で楽しんでいるのです。

2026年4月17日金曜日

賃貸持ち家論争というのがあるけど

少し住まいがくたびれてきて手直ししているのですが、少しばかり出費があります。これは痛い。なにもなきゃなにもないのに--と言ったところでしょうがない。自分でもメンテをしているのですが自分でやっているよりは業者に来てもらった方が早いと悟りました。今のところに住まいして長いのでローンも終わってるけどボロ家。だましだまし住んでいる感じですね。過去に給湯器も二度入れ替えているし、それでも持ち家は払い終わると家賃に類するものがないので質素な貧乏生活が可能です。どこがどうなったって気楽なものだし。

しかしこれには異論があって、結局持ち家の方が金がかかるとかの論もあります。でもそれってちょっと変で、だったら賃貸の大家さんはボランティアじゃないですか。それに大家さんは過去の経験だけど、部屋が傷んでもそんなに気安く直してくれません。

私がやってみたいのは、極貧とも言えるところに住んでそれでも結構気楽というのをやってみたかったのですが、近づきつつありますね。

近所にはもっとあるのですよ。これでよく住んでいるな--なんてところが。なかを見てみたい気がします。

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そういう状態でコツコツと、それはまったく描けるときだけの絵画制作。これも気楽にと思っています。描いて今更の感もあるのですがね。

先日の画像に色を重ねて加工しました。