既に四日です。なにも変わらないのです。私にはもう盆暮れ正月は基本的になくなりました。一人で生きているというのは大方そういうものです。少ない仲間と忘年会くらいはありますが、それとて毎年同じことを呟くばかりです。いつまでこうして集まれるだろうか。
もう年賀状のやり取りもなくなりました。面倒だからほぼメール。私より高齢の人には返事を即すことになるとむしろご面倒をおかけする。そんなことでいつしかなくなりました。子供の頃は本当に楽しみでした。なにしろお年玉があったし、正月映画がありました。今はどうなんだろう、何がたのしみなのだろう。そんなことを思います。
近所では、全く静かな状態です。声ひとつしない感じ。時折通る車の音がするくらい。皆どうしているのだろう。閉じこもってテレビをみているのか。いつの頃からか正月は不思議な感じです。むしろ静か。この状態がずっと続かないかと思ったりします。
やることは普段と変わらない。仕事があればする。なければ絵を描いたりちょっと街へ出たりする。一昨日は飲んできました。カラオケで歌も歌ってきた。孤独に絵を描いていると言っても、これが普段です。出れば楽しめるし、決してポツーンとしている訳じゃない。でも、そうであっても、完全に孤独です。この感じはしかし、決して悪くありません。人は最後はそうなんだろうなと思います。
絵は相変わらず何だかわからないものを描いています。まだぼんやりしたイメージスケッチですが、これは近くの林に入れば良く目にするものです。積み上げられた伐採樹。絵を描く人が好んでモチーフにするようなものじゃありません。綺麗なものでもないし。しかし私は何度もこれに挑んでしくじっています。どうも思い通りにならない。
それでも時間を置いてまた別な取り組みをします。今度も同じ。きっと来年の今頃も似たようなことをやっているでしょう。トライの方向が様々あって、どれひとつ成功しません。
でも、そもそももうそれが必要なのだろうか。今となっては絵を描いて開ける道などないのです。これから積み上げるにはあまりに時間が短い。だから、もう成り行きで結構。この頃はそんな居直りが芽生え始めました。
気分を新たにするときは、私の場合は居酒屋です。今年もよろしくと馴染の店で挨拶をする。絵描きの成れの果てであることは知られているし、お店も商売だから先生と呼んでくれる。そう呼ばないでくれと言ったら却って見えっぽいのでそのまま受け止めています。
そんなところで今年も飲めたら幸せ。どんな絵を描いているかなんて誰も知らない。だから、へたれだとは誰も知らない。
少ない閲覧者の方、今年もよろしく。
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