2024年7月31日水曜日

想像するのが楽しい

他人にどう見えようが、それは問題ではないのです。自身でそこに何かを感ずればそれで良い。いつの日だったか、私が街の図書館を訪れた時、駐輪場の壁に偶然残された雨の染み跡が眼に入りました。


夜会

それは本当に誰の作為でもなく勝手にそうなったものです。そこに面白さを感じるとはどういうことでしょう。一々の分析はこの際止めておきましょう。早く言ってしまえば単にその模様の類が私の好みだっただけかも知れません。言葉を沢山乗せて尤もらしくすることもできるかも知れませんが、私はそれをずっと避けています。そういうことはむしろ面白くないのです。

模様は写真でも撮って置けばよかったかも知れませんが、そう思ってカメラをぶら下げた日にはもう魅力的だった染み跡は形を変えていました。今ならさすがの私もスマホ持ちですからね。でも、一見動かないように見るものも、変化は意外に速いなと感じたものでした。

でも、ここがちょっと不思議なところです。染みが形を変えたとしてもそれはそれで別の面白さを見いだせばよいではないか。当然そうなるのですが、実際にはもうその感じは消えていました。何日かすればまた別の模様が浮き出るかも知れませんけれど。

上の画像は雨の染み跡ではありませんが、似たようなものではあります。何であるかは黙って置きましょう。ぼんやり眺めていると、夜のイメージがまず思い浮かび、そこに何人かが集まって話し合いを持っている、或いは、暗い作業場で何らかの作業をしている、そんな風に私には見えるのでした。

このことが、じゃあ何だと言われたら、恐らく全てのアートがそうでしょう。だからなんだというのだ。

何であるかないかは、今の私にはわかりまえせん。多分以後もわからないでしょう。私は同時に、ごく一般的な具象画も描いていますが、それだって、じゃあいったい何なのでしょうか。

いちいち意味は求めない。それでいいじゃないかと、この頃は思い始めています。

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