意図した場合は当然タイトルは必要でしょう。しかし大抵の場合、タイトルは渡世の義理のようなものです。私は、特に最近ははっきりとした形を描くことが少なくなりました。ものの連想で描くようになったのです。その連想したものに対してタイトルは可能です。しかし、それほどの意味があるでしょうか。
色んなことがわからなくなりつつあります。例えば上のイメージはあまりものを考えずに自由に筆は操作、そうです、描いたというより操作したと言うほうが適当かもしれません。更に、何を描こうという意図もありませんでした。しかしその結果にはそれなりに興味の対象になる部分を見いだせます。ここから幾つかのイメージを連想することができます。
しかし案外、回転しても面白い場合があります。というより、そうやって別のイメージを思い浮かべる訓練はした方が良いのかもしれません。訓練などというとやや堅苦しいですが、つまりは頭を柔軟にするのです。
私は幾つかのあまりパットしないブログを立てて来ましたが、その度に述べていることがあります。ずいぶんな昔、銀座の画廊で目撃した絵画。抽象画なのですが、それにしたってただキャンパスに点を打っているだけなのです。点が粗密を作り出していて、色はアンバー系。具体的に何が描かれているわけじゃない。タイトルだってあったかどうか。その絵一枚が通りに面して飾られていました。サイズは50か60号くらいだったか。
しばし眼を奪われました。惹かれるものを感じたのです。こういう絵画があるのか。そのときそう思いました。ネットの時代になって探してみたのですが、見つかりません。なんという作家さんだったかももうわかりません。
彼は何を探して何を表現しようとしていたのか、それともそんなものなかったのか、ただ点を打っていって、ウンと言えるものだけを探したのか。今となっては、というより当時からわかりません。
本人にお会いしてお尋ねすれば解ったかもしれません。しかし、そもそもそんな意味もあるのでしょうか。それを訊かずとも、私はその絵に惹かれるものがあったのです。
それで十分だと思います。絵画にいちいちの説明は却って無粋かもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿