絵を描くことは、何かを探している作業です。少なくとも私にとってはそうです。何を探している? いえ、それさえはっきりと答えが出ません。それは偶然の結果だったり、むしろ狙い通りに行かなくての結果だったりします。ちょっと気取って例えてみれば、その行き着く果てとでも言えばよいでしょうか。
しかしながらアートが面白いのは実にそのような部分であって、それで良いのだと私は思っています。 迷い人とでも言えば良いかも知れません。アートは、次から次へと未知です。そうあるべきだ、とまでは言いません。人にはそれぞれ考え方があります。しかし私に関してはそうです。
道は知らない方が時として面白い。知らない街を歩いてみたい。知らないところをさまよいたい----。そんな歌がありましたっけ。想いは誰も同じ。でも、時には遭難することもある。
ああそうだ、私は山で遭難した人の話に何故か惹かれるものがあります。別に私に遭難願望がある訳じゃないですが、山では、いや、山でなくても、遭難した人はまず例外なく幻覚幻聴を経験する。これがとても興味深いのです。
このメカニズムを、誰かうまく説明できる人は居ないでしょうか。そして他の動物、例えば犬や猫、はてまた鳥の類であってもそのような経験をするでしょうか。
私たちは外から得た情報を脳で処理して認識しています。視覚聴覚だけでなく触覚も味覚もあります。狭い意味で言えば、どんな人であっても同じものを対象とした場合、その認識は共通したものとなります。しかし広い意味では必ずしも同じものを見ている、或いは認識しているとは言えないかも知れません。
話が複雑になるのでここでは避けますが、このことと夢との関連はとても奥深く、時には心霊的な要素が含まれてくるかも知れません。そのことはいずれまた記しましょう。
と言っても、これは一つの疑問を追いかけているだけであって、とてもお説めいたことを述べられる立場にありません。上手く説明はできませんが、私が絵を描いていることとそれらの間にはとても密接な関係があるのです。
多分永久に何かを探しているのですが、終わりのない旅でもあります。謎は解き明かされない間が面白い。ずっと迷ってればいいのかなと、そんな考えを抱きます。
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