2024年10月9日水曜日

興味をそそるものがあればそれはアート

私はそう思っています。事実そうだと思うのです。便所の落書き大いに結構。便所に誰が落書きするのか知れませんが、見たことはあります。結構上手いのもある。便所の落書きはクズの例えで用いられますが、理屈はどうとでもなります。退屈な大作よりもそちらに惹かれるものがあれば、それは立派なものです。茶化しているのではありません。



別に珍しくもないですが、私はチラシの切れ端にも、時として面白みを感じることがあります。あるいは廃墟の壁に染みついた模様などにも面白さを感じるときがあります。意図して描かれたものよりもウンと興味深く感じることがあります。

私は一方で具象も描いており、その楽しさも難しさも経験しているつもりですが、自分の意図と無関係に現れた模様などに面白さを感じるのは何故でしょうか。勿論、必ずしもということではありませんが…。このことを、随分前から思っていて、今では制作のかなりがそれに占められています。

思うには、これは必ずしも正解を探しているのでは断じてありませんが、こういうことは言えるかも知れません。意図しないもののなかには未熟の入る余地がない。それは全て人の意志や修練の度合いとは無関係です。或いはそうした部分が、むしろ心に響くのかも知れません。

もっともこれは完全に私の個人的な領域であり考えです。それを踏まえたうえで更にもう少し言わせてもらえれば、過去に遭遇した不思議な絵の印象です。このことは事あるごとに語っています。

どなたの作品であったか、それはもう分かりません。キャンバスにただ点が打たれているだけの絵画です。褐色系の多少の色は含んでいましたが、概ね単色に近いです。そして、おそらくあまり太くない筆で点を打って、その粗密で絵が出来上がっています。

何が描かれているとかの絵ではありません。しかし、明らかに意図があり、その意味では偶然の結果でも意図しない絵でもありません。なので上記のこととは逆なのですが、訴えてくるものには共通したものを感じるのです。

ちょっと言葉では説明しきれません。しかし具象絵画ではありません。形は描かない。そんな絵画の領域に具象同様に深いものを感じます。こんな説明では安っぽいだけです。しない方が良かったかも。でも、作家が何故その領域に入ったか。それには随分と好奇心をそそられます。


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