別に具象でもなく抽象でもなく風景でもなく敢えて何かを表現したものでもない。そんな絵を描きたくなります。事実、私がこの頃描いているのはおおよそそんなものばかりです。
これで良いのか、という疑問さえすでに私にはありません。そのようなことは私にはもう無意味になりました。いつからそうだったかは、もう覚えていません。絵を描く人は、その類に関して得々と述べる人が少なくありません。どちらかというと私は、それらに少々うんざりしてしまったのかも知れません。今の私は、描くことに一々の理由を付けない。これをなるべく心掛けています。これをやると、なんだか全然面白くなくなるのです。
絵を描き始めた頃、それまで知らなかった世界の先達の作品を眼にする機会ありました。あちこち書店を巡ったり実際に展示を鑑賞したりで、訴えかけてくる作品のその素晴らしさに思わず感動、武者震いを起こしたことがあります。懐かしい思い出ですが、しかし今もなお、私はその感覚を持ち続けています。印刷でさえ私には否定する材料にはなりません。充分にそこからでも感動を得ることができます。私はそのタイプの人間です。
しかしまったく昔と同じというのではありません。誤解を恐れぬ例えを申し上げれば、歳と共にある程度の耐性が備わったのかも知れません。それに、昔はこれで身を立てる、つまり食べていくのだという目標があり燃えていました。それに関しては、既に私は高齢であり、描くに於いても様々な条件が違っております。今ではすっかり呆け防止になっております。
といっても、描くことの面白さ、辛さ、そして絵画と言うものの不思議さは、ある種の考えと共に私の内部では重要な部分であって、これがある限り、私は描くことを続けます。描かれるものに大したものはありませんけれど。
人間は好奇心の生き物であり、絵画は不思議の塊りだと感じます。それ故、いささかエネルギー不足ではあっても、以後も描き続けるでしょう。しかしそこにジャンル分けが既に存在しなくなっているのです。
内部のある種の考え、というのは、以前にもちょっと書きましたが、上手く説明できないままです。きっと以後もそうでしょう。
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