2025年3月29日土曜日

失敗は常に宝物

このようなものに一々の評価を与える必要はありません。この絵は筆が重なりすぎて狙い通りには行きませんでした。しかし、しくじったものは絶えず別の面白さを引き出します。その部分に鈍感であったら物事は面白くないと思います。



もちろん、描いている本人にしかそれは概ね見えません。本人には頭の中に思考の繋がりが存在するからです。 しかし経験を積んだ人なら、本人より更におもしろいイメージを思い浮かべるかも知れません。絵画の取り組みの多様さ経験と言ったものは口ではごまかせないものがあります。この点で絵を描くなかでも少なくない人たちは少々絵に言葉を重ねすぎると私は思っています。絵だけを見せてくれたほうが余程に良いのにと思うことがあります。

2025年3月24日月曜日

モノクロスケッチは日頃の嗜み

それを作品にするか否かはともかく、黒の絵の具を水で溶いただけで何事かを描くことを私は日課にしています。それはとにかく、形になっていてもいなくても良い、自分の感触としてなにかが出ていればよい。そういうものです。



それが何故モノクロかということに関しては多少の理由があるのです。概ねは絵画を考えるときにまず最初に明暗を考えてみたいというところから出発しています。

勿論、明暗を考えないアートも存在します。色彩だけで表現するタイプも当然あります。しかし私は明暗により多く魅かれるものを感じています。

2025年3月17日月曜日

夜の灯り

街を歩いていてどきどきこんなシーンを目にします。いや、そんな大げさなことじゃありません。寒い夜の道を居酒屋を目指して歩いていて、その途中で門の明かりで投影された影のイメージです。


しばしぼんやり眺めました。 元々夜が好きなのです。陰影が好きです。夜の感じが光で演出された時、とてもドラマチックに感じます。これは本当に、普通に何でもない光景なんです。多分多くの人は振り返りもしないでしょう。探せばいくらでもありそうですし。でもその時の私には新鮮でした。なんだかシルエットの人形劇のようです。

2025年3月9日日曜日

どんなものからでも触発されるのだが

このブログの初期でも述べたことですが、私たちが絵を描き始める端緒はどんなものでしょうか。私はもう三十年以上前に一旦中断して再び描き始めたのは今から今から数年前です。何故再び描き始めたのでしょう。


いや、そもそも中断の理由は何だったのか、それはまあ物理的に家庭の事情でありまして、経済的な極度の悪化を経験した者は、絵を描くなどという余裕はまったくなくなるものなのです。それが個人の収入と深く結びついておれば良いのですが、私の場合精々がサイドビジネスでした。従って、収入に結びつくことに関しては細々と作業をしていたのですが、個人の領域の絵はまったく描く余裕がありませんでした。そして今、描いていることを思えば、それは多少なりの余裕が生まれたということでしょうか。

2025年2月22日土曜日

意図しないことを面白く感じる

どいういう訳か、描くということに少々退屈を感じていまして、むしろ無造作に勝手にできたようなものの方が面白いと感じるようになって久しいです。そして昔はかなり影響を受けた先達の絵に関しても、現在の自分の好みからはちょっと離れてしまった感を受けることが少なくありません。



何故そうなってしまったか、については自分でも分析できません。あまり意味がないように思います。描くなりにそうなってしまったとしか言いようがないでしょう。

過去にも、ある人の絵柄が急に変わったような印象を受けることがありました。その方と同じという訳ではありませんが、誰にもそのようなことはあるのであって、私も例外ではないというだけのことです。

一旦そうなってしまうと、その辺のどこを歩いてもアートを見つけることができます。普通の人にはなんら目を引くようなものではないことが私にとってはとても魅力的に思えることが多いのです。

しかしそれを昇華することも難しいですし、まだその状態では共感されることも殆どないのでいささか悔しい所ではあるのですが、それはしかし、単純にトライが未熟だとしか言いようがありません。

このブログでは成果を気にせずに遊んでみたいと思います。