2025年3月9日日曜日

どんなものからでも触発されるのだが

このブログの初期でも述べたことですが、私たちが絵を描き始める端緒はどんなものでしょうか。私はもう三十年以上前に一旦中断して再び描き始めたのは今から今から数年前です。何故再び描き始めたのでしょう。


いや、そもそも中断の理由は何だったのか、それはまあ物理的に家庭の事情でありまして、経済的な極度の悪化を経験した者は、絵を描くなどという余裕はまったくなくなるものなのです。それが個人の収入と深く結びついておれば良いのですが、私の場合精々がサイドビジネスでした。従って、収入に結びつくことに関しては細々と作業をしていたのですが、個人の領域の絵はまったく描く余裕がありませんでした。そして今、描いていることを思えば、それは多少なりの余裕が生まれたということでしょうか。

決して楽というほどではありませんが、一応の余裕が生まれた故に今描いて居ります。しかしながら、今から何を描くのか、ふとそれを考えるとすっかり迷ってしまいます。なので、今はもう単純に呆け防止の一環としか言いようがありません。そう割り切ってしまえば、描くことは苦しくありません。そうです、もう絵を描く成果など何も求めません。精々ブログで公開するくらいです。

ブログの初期に、描き始めたのは漫画だったと申しました。漫画家を夢見た時代がありました。自分の才能を考えればそれは無謀でした。周りの、もっと懸命に努力している人たちを眺めても自分の取り組みはそれ程とは思えませんでした。人には様々がある。その程度の人間が居てこその世の中です。

とまあ慰めてはいるのですが、決して今の状態を悔しいとは思いません。これは通ってきた世界はそれで良いとの考えです。そして、徐々に漫画からイラストに興味が移り、更に変化してイメージアートに憧れ、今は不思議にも具象から抽象的イメージや現代アートの類へと関心が移りつつあります。この変化は自分でも驚くばかりです。

一旦そうなると、何を描くとか描かないとかの話ではなくて、その辺のどんなものにでも興味が行くことがあります。そこでまた考えるのです。どうしてなんだろう。水が跳ねて、壁に描いた模様に過ぎないものにさえ面白みを感じることがあります。

今の私には、それがとても不思議です。

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