このようなものに一々の評価を与える必要はありません。この絵は筆が重なりすぎて狙い通りには行きませんでした。しかし、しくじったものは絶えず別の面白さを引き出します。その部分に鈍感であったら物事は面白くないと思います。
もちろん、描いている本人にしかそれは概ね見えません。本人には頭の中に思考の繋がりが存在するからです。 しかし経験を積んだ人なら、本人より更におもしろいイメージを思い浮かべるかも知れません。絵画の取り組みの多様さ経験と言ったものは口ではごまかせないものがあります。この点で絵を描くなかでも少なくない人たちは少々絵に言葉を重ねすぎると私は思っています。絵だけを見せてくれたほうが余程に良いのにと思うことがあります。
ぼーっと眺めているとしくじったこの絵から幾つかのストーリーを思い浮かべることができます。具象にも進めるしまったくの抽象にも進めます。
描くことの面白さは、私は個人的には無邪気になることだと思っています。それはしかし不真面目な遊びを言っているのではありません。そう解釈する人がないでもなくて、それはそれで困る部分です。そのような人の前では言葉つかいに余程注意しなければと思うことがあります。いっそ黙っている方が無難です。
そのようなことなので、この絵にもタイトルは付けないでおきます。無理にといえば適当なタイトルはつけられるでしょうが、多分陳腐なだけですね。しかし巧妙なタイトルをつけると見る人に思考上の遠慮を誘発させる場合があってそれはそれで妙なものだと思います。
いつもモノクロで描いているわけではありません。しかし多いことは事実です。その辺を歩いてきて撮影した写真でもモノクロにしたほうが私にはしっくりきます。
何故でしょうかね。あまり分析したことはないですが。
絵は常に安価なもので描くようにしています。普段の練習、というより私のやっていることは永遠の練習なので、いつも安価な紙の絵の具を使っています。筆も高価なものはありません。
きっと雑器に面白さを感じるタイプなのですね。
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