2025年6月27日金曜日

捨てられたものの美

美--と言うのは多分正しくないでしょう。しかし廃棄されて集められたようなものが時として面白いイメージやコントラストを描いていることがあります。この場合はなんと表現すれば良いでしょう。実際それらは描画のアイデアに関して非常に魅力的で、何気なく見過ごしてしまうようなところにもアートが存在することに驚きます。


もちろんこれは見る人の感性によっても左右されます。私たちは特別な理由がなくてもそこに目を引かれたりなんとなく訴えかけてくるものがあるように思えることがあります。以前にも申しました…と思うのですが、世の中にはゴミダメを描いて非常に訴えかけてくる作品をものにしている作家が存在します。彼は何故多くの人々が賛える美しいものでなくて避けられるようなものを対象にしたのでしょうか。

ここがアートをやる人の面白いところです。もしかしたら、いやもしかしないでもそれはその人の生い立ちともかなり関係するでしょう。私が幼い頃の周辺の光景はほぼ全てが瓦礫のようなものでした。すぐ近くには周辺から集めてきたゴミの山がありました。映画にでも出てきそうなもので、相当な規模でした。不衛生--ということを除けば、それらは子供の目には宝の山でした。

そういう記憶を少し掘り下げてみたいと思います。

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ブログをふと昔ながらの狭いデザインにしたいと思いました。この面ではBloggerはいじれる部分が少なくて、いまだに自分とブログの感じが合わないと感じています。その内また変更するかも知れません。

2025年6月20日金曜日

襲い掛かるなにか

随分前に描いていたものだけど、どこかへ放置してしまって忘れていて、なにを描こうとしていたのかな。随分適当なことです。



しかしながら、アートと言っても意外にそんなものです。 もっとももらしくはできるけど私には似合いません。成り行きで描いていけばなんだか得体の知れない怪物になりそう。しばらくは放っとくけど、その理由もなんとなく気が進まないだけのことだけど、更に掘り下げたら、この頃は妙に妖しげが多いなと、そんな気がしたからです。

そんな気がしたというのは正直じゃないですね。もとからそっち系なのです。絵を描き始めたのだってどちらかと言えばホラー系ですから、でも今のところはあまりそちらに傾かない方がよいと思ったりで、日頃の思考がまったく定まりません。ブログのタイトルからしてそれでいいのだと割りきっておりますね。

いっそそっちへドンドンいってしまってもいいのです。私のなにがどうあっても世間にはなんの関係もありませんし。


2025年6月18日水曜日

これはアートだろうか

道路の側壁。歩いていて時々こう言うのを見るけど、これって誰かが描いたものでしょうか。それとも自然の悪戯かな。



自然になんてことがあるだろうか。これはもしかしたらコンクリートの隙間からはみ出てくる雑草を刈り取ったあとでしょうかね。グルグルと回転する歯で刈り取る。 或いは固いブラシを回して摺りつぶしてしまう。そして傷跡だけ残った。

でもそれだったらもうちょっとしっかり刈り取ってしまえば良いのに、随分適当な感じです。綺麗にするようなところじゃないし、どうでもいいんでしょね。もし、非常に細かい部分を観察したり或いはコントラストや色彩を変えてやれば、こんなところからでも面白いイメージがわいてくるかも知れません。

これは完全に想像で語っているのであって、現実にそんな作業を見たことはないです。ありそうもない気もするけど。


2025年6月13日金曜日

三つの白い霊体

私は、このブログで何事かを書いたり描いたりしていますが、実のところはっきりした狙い線がある訳ではありません。そういうものはいずれ出てくれば良いし出てこなければそれだけのことという至って行動すら不明なまま時間だけが過ぎていきます。



ぼんやりと抽象系とも現代系ともつかぬことに興味を抱きつつあったころ、Web上の様々な関係するブログを閲覧しました。しかしながら残念なことに、多くのブログが既に発信を止めており、これが何を物語るかを少しの間考えてみました。それは他のプラットフォームに魅力を見出した故なのか、それとも活動の行き詰まりなのか、或いは個人の年齢と関わることなのか。

2025年6月8日日曜日

朽ちて錆びた壁

新しいものよりも、朽ちていくものは様々なものを生み出します。生むと言うよりこの際は吐き出すと言った方が良いでしょう。人間と同じです。あらゆる動物もそうですが、それは老廃物、もっと言えば吐しゃ物かも知れない。



余計なことを書いてしまいました。言葉でそんなことを言えば、恐らく絵を描くほとんどの人を敬遠させるでしょう。私はそんなものを描かないと。しかしこれは言葉でそう表現するからであって、別の見方をすればそれらはまた個別の味わいをもっていることが解るでしょう。

2025年6月1日日曜日

古い印画紙--2

現れる模様に何かを感じることがあるかないか、そこは微妙な分かれ道です。汚れやカスレは時には魅力的な模様を作るし、時には暗示的でもあります。



勿論、なにも感じなければそれでも良いのです。私も全てのことに何等かを感じているわけではありません。しかし感受性は多くても悪くはありません。

印画紙というよりこれはフィルムと言った方が良いでしょうか。タイトル上のことで大した意味はありません。どこかの風景を撮影したもののように、一見、池か湖のような風景が下部に見えます。上は殆ど空でしょうが、何が出現しています。

映画を観ていると、時々映写機からカラカラと音を立ててフィルムが外れるときのシーンを暗示的に入れることがあるようです。改めて探すとなるとなかなか見つけられないのですが、過去には何度も見かけました。あのようなシーンが度々用いられるのはどんな理由からでしょう。

そうです、あの頃から、というよりこれは時代とは関係ないのですが、古いフィルムに、シミかカビか汚れか知れませんが、シーンに浮かび上がる映像を眺めて、まあ、これはちょっと説明が難しいのですが、ぼんやり眺めていたことがあります。

つまり、なんであっても誰かが敢えて工夫したものではないところの模様とでもいうのか、描くものよりもそういうものに魅かれるのです。