2024年6月8日土曜日

畔の小道--暗示的な表現

偶然とアートの関係を以前から語っています。そこに何が描かれているかについて、作家は説明する必要があるでしょうか。これは随分昔から色々と言われている問題です。私自身も迷うことが多く、しかしながら、あまりの説明は避けるようにしています。


モノクロで暗示的に描かれた抽象的な風景画

この絵は、タイトルがあることによって想像が導かれるタイプの絵だと思います。もしタイトルがなかったら、人によっては単純な模様にしか見えないかもしれません。小さな田んぼ、或いは池でも良いのですが、点在するその間を縫うように続いている畔の小さな道です。どこかに人らしきを描けば、私たちの脳は明瞭にそれを思い浮かべると思います。急にピントが合ってくるのです。

騙し絵というのがあります。一見それのように描かれている絵に別の絵が隠されている。あれを探し出すのが早い人はIQが高いとかの説もあるようですが、それは無視しましょう。私にはその関係は分かりません。しかし仕組みはどこかに通っていると思います。普通に描いた風景画も逆さまに見れば違ったものに見えたりします。正直言えば私はその部分に面白さを感じるのです。暗示に留めて置けば人は様々を思い起こす。必ずしも一致しなくて構わない。

絵はほぼ偶然によっています。自由に水で溶かしただけの黒の水彩絵の具を流したもので、まったく意図したものではありません。しかしそのようにみえたのでそのようなタイトルを付けました。ここから少々描き加えて誰にも明瞭な風景画にすることは可能です。しかし多分、私が意図してそのような風景画を描いたとしてもきっと陳腐なものになるでしょう。

この辺りは絵画の不思議なのですが、世間様の絵画を眺めても、もっともこれは私の好みでもあるのですが、ここまではっきり描かない方が面白いのではないかと思うことが多いのです。

それがアートと何の関係があるのかと問われば、凡そすべてのことに同じ疑問が生じます。永遠の謎だと思います。

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