眼に関するアクシデントについて、詳しく述べることは避けたいと思います。他人様にとっては恐らく退屈なことです。しかし若い頃でしたから随分なダメージでしたし、後で判ってみれば、その原因は全く馬鹿馬鹿しいことでした。医療にもかかっていましたが、心配ないというばかりで誰も気付かなかった。
以後はそれなりの不自由を抱えて生きることになり、今また年齢的な問題を抱えています。年齢ばかりは抵抗できませんね。それなりに眼も衰える
当時のことを思い起こすと、まったく闇の中を手探りで歩くような鬱陶しい毎日でした。どうにかなりそうな医療機関を更に求めて歩いたり、それは希望だけで繋いだ結果の出ない長い旅でした。
しかしそれ以上のことは控えましょう。とにかく私はどうにか今現在生きており日常ごとをしています。絵画に関して言えば、それ以外にも様々な事情で長い空白もあったし、日々はまったく順調ではありませんでしたがどうにか今に至っています。振り返ってみるとこのこと自体は奇跡かもしれません。
年齢的にはとっくにリタイヤ組ですが、今も私は日常の生計を立てるために仕事をしています。これには様々な事情があります。制度もあるでしょうし、その人の過去にも寄ります。他国のことは良く知りませんが、少なくとも現在のわが国では多くのお年寄りがなかなかすんなりとはリタイヤできない実情があります。私もそうです。
それ以外と言えば、専ら描くこととブログを運用することと脳みそを彷徨わせることが好きだと言えるでしょうか。
脳みそを彷徨わせる--この表現はちょっと気取っているかも知れませんが、私にはピッタリです。 人は誰でも好奇心を持っており未知のことに関心があります。地理上のことに関してもそうですし情報に関してもです。なので私は、あまり出かけたことのない地域へぶらりと出かけたり、関心を持っている事柄のもっと確かなことを知りたいとの欲求があります。更に、通常我々が認識できるその向こうのことを知りたいと思います。
しかしながら、それを求めて、最後はどこへ行くのか、行かないのか、向こうがあるのかないのか、それは誰にもわかりません。私の頭の中には常にそんな事柄がないまぜになってまことにうつろです。
虚ろ、空ろ…。海外ではこれをどう訳するでしょうか。
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