何となくそう言う風に思えるものです。 しかしそれは成る程の人であってのことでして、私のような者にはお笑いです。私のことを世間は誰も知りません。身の周り以外はね…。しかしプロフィールをここに長々と書くのは控えます。元々自分語りは退屈なものです。
前述のとおり躓きがありダメージは大きかったのですが、とにかく私は生きている限り何かをしなくてはなりません。相変わらず私は商業美術で身を立てたいと思っており、といって取り組みにも身が入らず悶々でした。大なり小なり誰しも似たようなことがあるだろうと思います。一旦は東京を離れ自宅で過ごしていたのですが、それでどうなることでもなく、また東京の狭いアパートに戻りました。戻ったところで、明日食べていく元手がありません。絵もすぐには仕事になりません。私の場合は時間をかけてもそれは難しいことでした。
そのようなことで、私にもできそうな仕事探しを始めて、ここで話を随分端折りますが、これが切っ掛けでその後の糧を得るための仕事にどうにか辿り着くことができました。紆余曲折はありましたがその仕事は今も続いています。
並行しながら、徐々に私の気持ちは商業美術から離れました。話の展開が早すぎますが、とにかく仕事を持ったこととその仕事が継続できそうだった。これは当時の心境に少しばかり影響がありました。現実に眼を向ければ必ずしも商業美術を考える必要がないと判断しました。その辺を詳しく分析したことはありませんが、仕事とは別に絵は絵で好きなように描けばよいのだと、そんな気持ちになりました。更にどんなことであっても仕事が掴めたなら、それを大事にしなければならない条件がありました。これはまったくその当時の流れのままです。
そんなことから絵の具もそれまで主に使っていたアクリル系の絵の具から油彩に変わりました。一般絵画へと関心が移ったのです。
と言ってしまえば簡単ですが、実は様々な事情と出来事がありました。そして今は、随分長い時間の経過の後ですが、何故か抽象系や現代アートに面白みを感じるようになりました。
例えばこの記事に貼り付けた二つの絵はほぼ偶然の結果によるイメージです。一つはほぼ意図しないで描いた。下の絵は単なる絵の具を拭きとった紙です。筆に着いた絵の具を拭きとった粗末な紙です。
お断りしておきますが、人には好みがあります。このようなものに何等の関心を持てなくても全く構わないことです。私も少し前まではこの類のことには関心はなかった。しかし今の私にはこれがとても面白く感じるのです。
描かれたものと偶然に寄ったイメージの隔たりはどの辺にあるでしょうか。実のところ私には、これはなかなか結論を出せない事柄なのです。
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