多くの人はきっと同じ考えだと思います。つまらぬ模様からでも人によって面白さを感じたりするもので、だからアートなのだと、まあこれは、そんなに力むことでもないのですが、私に取ってはその辺りのことは非常に重要なのです。
ある時は、朽ち果てた小屋の、僅かに残った窓ガラスに面白さを感じたりします。付着した汚れが妙に関心を惹くのです。私は元々朽ち果てたものが好きなのでそのような場所では幾つもの発見があります。
例えば上のイメージは、これは私が絵を描くときに時々下に敷いている段ボールのボードですが、作業に連れて意図せぬ形で絵の具が付着します。文字通り全くの偶然ですから描画意図は全くありません。しかしながら部分的にはちょっと目を惹く部分が勝手にできていたりします。人にはそれぞれ感じ方がありますが、私は平安絵巻をどことなく想像してしまいます。勿論具体的な形はどこにも描かれていませんが、それがむしろ物事を想像させます。
もうひとつ、これは古い廃墟の壁に映し出された木漏れ日です。木漏れ日は時として非常に驚異的で、意図して描いたとしか思えないものがそこに現れたりします。既に他のブログで先に使用しているのでここでの展示を躊躇するのが残念ですが、その中には非常に心霊的なイメージすら漂うものがあります。
これは世に言う心霊写真とかパレイドリア現象とかとかなり関係の深い事柄です。その部分は非常に興味深いのですがこのブログの筋ではありませんので省きましょう。いずれ余裕があれば記したいと思います。少しだけ言えば、私が絵を描く上でまことに重要な部分がここ、偶然が何かに見えるという部分です。具象画であってもその部分の考え方はとても意味が深いと思います。
そしてもう一つ、夢がかなりのウエイトで関わっています。明日の夢ではなく寝ている間に見る夢のことですが、その事は徐々に語りましょう。この部分は日本語以外ではちゃんと区別されるのでしょうか。言葉はややこしいですね。
具象であれ抽象であれ、何気ない物に、まず面白さを見出す。その感覚があればトライは楽しいと思います。どんなものであっても、そこに個人が面白さを感じれば、誰がなんと言おうとアートです。まことに、個人の勝手ではありますけれど。
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