2025年12月19日金曜日

洗い流しの偶然

結果論での効果に興味を抱くことが多いです。私の関心はこの頃すっかりそちらばかり。発展できそうな予感がするのです。もっともそれが、いつもうまく行くとは限りません。


変哲のない過去の風景画を思い切り洗い流しました。そうです、こういうことができるのは再溶性の絵具だからです。一度固まったら動かないアクリルなどでは難しいです。私は好んでガッシュで描きます。

抽象現代系が多くなったと言っても実は具象絵画が圧倒的です。しかし眼が抽象系にも開かれたことに関してはとても有益だと感じています。

今のところ、全ての行為は思考錯誤と言えるでしょう。でもいつか結果が出ると思っていますが、心配なのは私に残された時間です。私は若くなく進展は遅すぎる。毎日何かを描いていたとしてもです。

言葉もタイトルも要らない偶然性の多い絵をもっと描きたいと思っています。しかしその中でも自分で興味深く感じるのはそれほど多くありません。あればもっと更新がたくましいでしょう。

のんびりとした更新で良いと考えています。絵は決してブログを更新させるために描いているのではないと言い聞かせています。

2025年12月14日日曜日

やっぱり化石か

何故か知らぬが埋もれているものに妙に魅せられる。ぼんやりとそんなものをイメージして描き始めて途中で行き詰りました。描くなりにどんどん違ってきます。ここから繋げられるイメージが沸けばよいのですが…。


しかし一方ではこういうことも言える。私の、この段階で言えば立派な作品をいうよりも試行錯誤そのものが目的だといっても良いでしょう。つまり頭の体操です。従ってこれも中途で放置するかもしれません。そういう時は適当なものが適当にに巡ってくるまでうっちゃっておきます。似たような絵をいくつも描いておりどれも途中放棄です。情けないことです。

2025年12月6日土曜日

意味を求めないほうが…

そんな歌がありました。生きる意味を求めない。誰の歌だったかな。わすれました。そんなの求めてもその先に一体なにがある。意味を問うのは狭い範囲でのことでしかないのでしょう。描くことも似ていると思います。描く意味など求めない。

とまあそう言ってしまうと身も蓋もないのですが、私の場合、描くものにそれを求めない。ただふとインスピレーションがあればそれを大事にする。そして多くは偶然を楽しんでいる。そういうことくらいかな描いているといっても…。だからタイトルすら求めていない。今のところは…。

でも先々はわからない。描けたものからそれこそその時のインスピレーションでタイトルをくっ付けるかも知れない。今更何をどうしたところで何が開けるわけでもない。そんな状態で描いています。ただこうやって筆を楽しんでいる間に何かが生まれそうな気がするのです。

勘違いかもしれません。それだって別にどうってことありません。精々その位置で楽しんでいるのです。なので絵もそんな調子ですが、以後手を加えることによってどんどん違ったものに変化するだろうとは思います。

2025年12月2日火曜日

模索は続くけど

自分としても、これがどうなっていくかはあまりわかっていません。それでもいいやが私のアートです。アートと呼べるものなら。とにかく私には、今はこれが最も楽しいのです。


楽しいことだけをやっていると物事は時として外しがちです。悪戦苦闘で停滞しているように見えるときの方が後の実りが大きかったりします。つまりその双方がないと物事は進まない。今さら進んだところでどうなるかはともかく、生きている限りは人は行動するものです。

非常に個人的なことですが、言ってみればこれはただ筆を振り回している遊びのようなものです。同様のことを以前記しました。しかしそこが大事でして、アートなんぞと気取って言われてもそんなに大上段に振りかぶってやるものではない。そこは人の好き好きですが、私はそう思っているのでなるべくは意味ありげな難しい文言は避けています。結果も期待せずただ成り行きに任せる。それがこのブログの出発点でした。

以後もそれを守ろうと思います。とはいえ、成り行きなのでどうなったって構わないのですが…。ただ数年前には自分でも思っても居なかった方向なので、これはこれで興味深いことだと思っています。この上にどんどん絵具を重ねるので随分変わることでしょう。

2025年11月19日水曜日

イメージが変化してきた

このイメージは8月の20日だったかに公開したものに少々手を加えたものです。その瞬間で何を想起するか、その時々で違ったものを思い浮かべます。ここまで手を入れると今度は何に見えてくるか。


徐々にそれは変わってきました。以前はどこかで出土した古い石材をイメージしました。しかしずっと眺めていると朽ち果てた古い樹皮のようにも見えます。時として、というより概ねは、最初から何を描こうと強い意志を持っているわけではありません。その場合もあるのですが、それとて作業を進めるに連れイメージが変わってしまったりします。でも、それでよい、まさにその時流れるままだとのスタイルです。

これはさらに描き進めるつもりです。その時どうなっているかはちょっとわかりません。大雑把にはイメージを思い浮かべているのですがその通りにいくかどうかは全く不明です。しかしここからはそれほどの変化はないでしょう。

いずれにしても私は、朽ちたもの、人の目に触れないもの、長い間隠されていた後にあらわになったもの、などに関心を持っています。ここで描くものも概ねそういうものになるでしょう。

2025年11月11日火曜日

最近よく描くこの手の絵

基本的には岩盤ですがね、扱いようで面白いと思うのです。私の好みの筆使いがピッタリなのです。誰しもイメージされるものに対する好みがあり、それをどう表現するかにも好みがあります。この好みの違いを評価と区別できない人も存在するのですが、私は一切気にせずにやりたいと思っております。


アート系のブログは他でもやっていまして似たようなのを公開することもあります。するとこことどう区別するのかという問題がでてきました。その辺は、あまりこだわらないで良いではないかと思っているのですが最近の試行錯誤の一つです。

試行錯誤は他にもあって、いやいや、試行錯誤というよりそれ以前の話。そもそも私が絵を描いているのはいったいどんな理由によるものなのだ…ここがいささかわからなくなってきました。もう何を描いても世間に出すつもりはない。つまりブログ以外での展示は一切考えないということです。

これに関しては過去にも経験があるのですが、いずれもろくな結果にならなかった。ゆえにその意味を感じなくなったのです。今では評価すらもう求めないので、描くことはあっても個展などをする考えはありません。過剰とも思える前向きの人を眺めると、ああ自分もああだったかなと、ちょっと懐かしい感じもします。当時は抽象現代系とはかけ離れていましたが。

まあしかし、それはそれでいいじゃないか、そう言い聞かせつつ、筆を動かしていることそのものが好きであればそれでよい。そのとき脳は心地よいのだ。

いつまで続くかしれないブログですが、今後も迷いつつの日々でしょうね。多分、これは私の人生が老いに差し掛かっていることと関係あると思います。長いことやってきてサッパリだったなと思いつつの、これはちょっと笑い話の世界です。

それこそ、まあいいじゃないか。

2025年11月1日土曜日

本当に流れるままに

そうですね、抵抗してもしょうがない。徐々にそう思い始めたのです。残る時間の減少、体力の衰え、捗らない計画。そのどれもが、もう抵抗してもしょうがないなと思えることばかりです。


精々私はその程度の者であり、無理をしてもこける。そういうことを受け入れねばしょうがないのです。実際本当にこけることある。私は居酒屋が好きなのですが、飲んだ後にもう何度か転倒しています。昔なら考えられなかったことです。咄嗟の手さえ出ない。目の発病も考えもしなかった。それがわかってからはもう三年以上になるのですが、その間は正直言って狼狽の日々でした。落ち着いて考えれば、効果などありそうもないことに期待をかけたりする。その費用だって馬鹿にならない。

2025年10月26日日曜日

少し気分転換をしました

何をやったって結局は同じことなのです。それはわかっているのですが、何となく気持ちが前に向かないときはなんでもやってみるのです。


と言ってもこのブログで使わせてもらっているGoogleのbloggerは使えるデザインがあまり多くなくてできることは限られています。無料で使えるテーマもあるのですがピッタリというのがなかなかありません。気分が萎えるたびにこういうことをやっています。

なぜ、と問うてもはっきりしないのですが、つまり何となく前向きにならない部分ですが、それはやはり健康面で気になることがやや出てきたというのが理由でしょうか。少し作業をしたら妙に疲れを覚えたりということが少なくありません。細かい部分ではもう毎日のように身体に異常が起きています。あっちが痛いこっちが痛い。食欲だけはありまして、飲酒欲もあります。食事はうまいです。だから、懸念するほどのことはない。しかし段々体力面での衰えを感じて、もっと行動的だったのが段々と消えていく感じを抱いています。

2025年10月19日日曜日

気持ちが沈んでいる

モチベを保てなくなりました。絵に飽きたとか、そういうことではありませんが。何かが気がかりなのです。何が気になっているのかと思うのですが、実は何もない。それはわかっているのに、何かが引っかかる。


いささか推理ドラマ調ですが、こういうことは過去に何度もあります。もともとが小心者故、何でもないことが気になったりする性分です。もうちょっと神経図太くならねば、と思うのですね。厚かましいくらいで丁度良い。

でもそんなことなのだろうか、とも思うのです。やっぱり何かある。財力なのか、健康問題なのか、それともするべきことができていないのか。

財力はないけど日々食べていくくらいはどうにかなっています。どころかこの頃は居酒屋通いが多い。それで不安ということはない。安酒場だけど…。健康問題は、まあ多少あると言えばある。でも、それはもうずっと引きずっていることであって今更のことじゃない。

こういうことが周期的に訪れて、だから、私が描くイメージはどことなくすべて不安っぽい。絵を描いて綺麗とかとは対極にあると思う。

最も、昔からホラーミステリー系が好きだから、それが高じているのかもしれないけど。結局は気になるほどのことはないのだ。ただ、絵だけじゃなく日常がだるくなることがあって、多分誰にでもあるのだろうなとは思うのですが。

2025年10月6日月曜日

色々とあって面倒もあって

少しばかりブログから遠ざかりました。この頃は少々面倒なことが続きました。身の回りのことです。実は今年は年明けから通年にはないことが続きました。それは一つの区切りでもあったので、それを越えたということは嬉しいことだったのです。それでも実はかなり面倒くさい思いをしました。しょうがないです。これは誰にもあることなので。


しかしとにかく、もろもろは一応は片付きました。そんなとき、私はつい居酒屋で考えに耽るのを楽しみにしています。もう人生の残りはそんなに多くないと思うので、ここからなにをしたいかとか、その優先順位はとか、そもそもが文具マニアなので、考えるにつれメモることが楽しいのです。とにかく一杯やりながら思考するのが好きです。ぼんやり絵もかきます。絵具は居酒屋ではもちろん使えないのでペンのみです。しばらくして眺めたら、何が描いてあるのかわからないことが多いです。

2025年9月23日火曜日

無造作な筆跡から

そういうことをこの頃ずっと試しています。その内面白いことにならないか。面白くなくても良い、奇妙であっても良いのです。何がどうなったって知りません。


そう居直っちゃうとあれですがね、意図した描画よりもその方が面白い。もう随分昔からそうなってしまった。ならそれで良いではないかと思っている訳です。何も出なくてもそれで良いし。

ひとつ言えば、期待も込めずにただ筆を這わせる。これだけでも面白いのです。その時に妙な落ち着きを感じるのです。何故かはわかりません。

具象なら形を追わねばならない。それ自体がもう面倒なのです。面倒というのはちょっと理解されないかも知れません。普段普通に具象も描いており、それが辛いとか面倒とかいうのはちょっと違うかも知れません。だったら描けない。でも、何等も意図せずに思うままとはまるで違います。

100パーセント無造作で意図を持たない--というのはあり得ないかもしれない。しかも途中から色気が出る。あ、ここが面白いなと思ったらそこを何とかしてやろうと思う。これは意図です。だから完全に意図を持たないことはない。でも、それはそれとしても、これはこれで面白いのです。少なくとも私には。

絵を描くのに遊びではいけないとかの意見を時として耳にします。しかしそれは既に意図です。恐らく具象しか描かない人でしょうね。私はペンキ職人のシャツの染みにも面白さを感じるタイプでして。

無造作と意図しないというのはまた別の話ですが、それはまた思いついたときにでも…。

2025年9月13日土曜日

雑事に追われてモヤモヤと

トンと更新が滞っていました。描くことへの意欲がなくなっているわけではないのですが、まったくどうしてこうも色々重なるものかとため息の出ることがあります。



その一つが例のWindows10のサポート切れです。仕事場周りで最も大きな問題はこれです。余計な時間を取られたくないので出来の良い中古を一つ買うかと思ったり考えがまとまりません。しかし一台マシンが増えると置き場所も考えねばならない。

仕事と関係のないところではちょっと怪我をしたりで、歳と共に足腰が思っている以上に弱っているのでしょう、割と転倒しやすくなりました。日常的なことでもあれこれがあって、生活レベルでものを言えば当然そちらを片付けるか方向を決めるべきものなのです。が、それができない。なかなか進まない。

そんなことで、モヤモヤした状態でも、こんなことではいかん、とばかり取り組みはするのですが、そっちに集中というにもなかなか気持ちが落ち着かない。

だったらいっそそのモヤモヤを絵にしたらと思ったりします。今のところ、何の方向も持たずに、その辺の壁の模様さえアートだとの考えで始めたのですが、結局はなるようになれと割り切って進めます。更新もまったく気まぐれ。

絵にタイトルさえ考えないのはもとよりそうですが、スタイルまでバラバラになりつつあります。それでいいと割り切っています。

絵はガッシュによる無作為の絵です。作為はあってもそれとは逆に出たりと、情けなくもそれでも良いじゃないかの世界です。


2025年8月20日水曜日

出土したもののイメージ

とはいえそれを想定して描いた訳ではないです。このブログで控え目に公開しているものは概ね何かを想定したものではないのです。


などと言うと、製作態度としてどうなのかとも思われるかも知れませんが、それで良いと私は思っているのです。意図を持ったことは別個で独立してやっておりここでは別のことをやっています。

2025年8月12日火曜日

粗っぽいけど妙に引っかかる

時々こういうことがある。ぼんやり何か描こうとしていてそのなにかが定まらぬまま一旦放置して、それが妙に引っかかる。何かになりそうだ、とかつい思うのです。ここからどう進めれば良いか、そこはかなり朧気だけど、妙に雰囲気が悪くないなと思うのです。


描いていればそういうことは普通にあって、下手にいじると壊れてしまう。これはつきものですが、この雰囲気を保ったまま何かの形でモノにできないか、などと考えています。

見る人はともかく描く方はその時点であれこれと考えているので粗いイメージからでもかなりなところを想像できます。しかしそれは定着させようとすると消える性格を持っています。これはつまり、思い出そうとするとそれを笑うようにドンドン消えてしま夢のようなものかな。

この頃の描画はどことなくこっくりさんめいてきました。筆に勝手に動いてもらえたら面白いだろうな。そんなことってあるかな。

取り留めのない日常です。絵も取り留めない。

2025年8月10日日曜日

コンクリートはアーティスト

何でもがアート。むしろ偶然がアートです、この場合…。そう思ったらアート。本人がそう思っている限り他人様の意見は関係ありません。



よく独りよがりはダメだとか言います。でもここではそれが優先です。ひとりでよがれないでどうする。誰とよがる。

例えば…これはどんな分野でもそうですが、自分は他人より優秀だとか、私って凄いとかが振舞いに出ている人は、これは他人との関係ができてしまうので困った独りよがりです。しかしアートに関しては全く個人の問題であり世界です。そこはむしろ、完全な独りよがりを見せてもらわないと面白くないのです。できないことの方が断然多いのですが、ここはなるべくそれで突っ切りたいと思います。

これに関しては以前にも書きました。コンクリートには、壁であれなんであれ面白い染み跡というか模様が描かれることがあって、古いコンクリートはなかなか凄いと思うのです。まったくお化けのような染みもあるし、絶妙なアートになっているものだって存在します。しかもそれは風雨に晒されるためにいつまでも同じではありません。濡れるとまた違ったものが出てきたり、もしかしたら占いに使えるかも知れません。亀の甲羅のひび割れと似たようなものです。

染みができやすいのはなにもコンクリートだけじゃないですが、しかしコンクリートはそれができやすいのです。誰も眼を向けないところにアートは散らばっている。周辺を歩くだけでアートです。

2025年8月6日水曜日

たまにホラーをどうぞ

このブログはそっち系ではないので基本的にない絵ですが、夏ですし、まったく40度越えなんて気持ちも萎える。なので、あまり怖くもないですがホラー系の一枚。



こういうのはわざわざそれを狙って描くのではありません。偶然の産物です。絵の初期段階に時として現れる不気味なイメージを以前から不思議に思っています。

なにか憑いている?

いやいや、それなら結構です。どちらかというとそっちを楽しみたい方でして、これでも昔からかなり奇妙な体験をしていまして、だから何があるというのでもないですが、嫌いじゃありせん。

普段でもミステリーやホラー系の動画を楽しんでいますが、自己啓発系の人は行いを正しくしましょうとか、思考を明るいほうに向けましょうとか、そうすれば変なものは出ませんとか、つまらんことを言います。だったらホラー系が好きな人は皆不幸です。実際は逆です。ホラー系を楽しんでいる人は実は幸せな人が多いのじゃないかな。楽しめるのだから。やたら神に導かれているなんて思い込む人こそ不幸です。時々回ってきますよそういう人が。

ところで以前にもちょっと記したと思うのですが、関連してパレイドリア現象とかも面白いです。周辺でも沢山見かけるし私の絵にもゾロゾロ出てきます。

絵が何にみえるかはお任せします。ただの汚れた絵の具の後だと思えれば、それはそれで結構なことです。

2025年7月31日木曜日

具象抽象と情けなくもあるが

片方で具象を描いているのです。私はあまり丁寧な段取りをやりません。性に合わない。いきなりバシャバシャと置いていく。だから最初だけをみると、いったい何を描こうとしているのかすら知れない。


ところがこの頃はむしろその段階の方が面白いと感じてしまうのです。 もちろんそのままでは作品にはならないけど、そのまま完成を目指すよりも他へ持って行った方が面白いと、そう感じ始めて以後は、もう物事が一定方向に進まない。もっと言えばだんだん具象画描けなくなってきつつあります。

それはそれでよいのですが、同時に困ったことでもあります。そのまま具象へ進んだら、後の展開が退屈で仕方がないのです。これっていったいどういうことなんだろう。

いや、抽象に引っ張るにしても到達点はここではない。もっと描き込まねばならない。双方に時間を割いて、それはそれで良いのだろうか。いつも迷います。私の人生に、もう残りは多くありません。

しかし一方で、どの道たいしたことなどやっていないので、あれこれ悩んでも無駄。そんな気もします。今は今、楽しめることを素直にやりましょう。

2025年7月26日土曜日

夜祭り

ちょっとおどろおどろしい感じですが、たまにはこういうのも。夏なのでちょっと怖い系も悪くはないでしょう。ぼんやり眺めていると怖い系があちこちに浮かんでおります。



これはしかしそれを狙って描いたものではないのです。適当に筆を走らせて、具象でやっていまうと形がハッキリするので他のものには見えなくなってくるのですがしかし、荒っぽいままの状態かイメージを早描きしたままで止めると、そこには色んなものが浮かんできます。これは描画の上でのちょっとした楽しみでもあります。心霊写真の殆どはそれであると以前述べました。

どうせ出るならドンドンでてもらおうということで、今後もこれ系を時と次第でupしてみるつもりです。興味のない人には全然ですがね。それはしょうがない。

2025年7月18日金曜日

謎の物体wwの表面

謎の物体と言いましても、それが何であるかはどうでも良いのです。ここではそれは重要じゃありません。ここで重要なのは目に見えて脳に働きかけるイメージです。それが何であるかは一々問わない。


と言えばそれなりの製作意図がありそうな気配も漂うのですが、実はそういうこともなく、ただ描くことがどんな形になってくるか、そこだけのことなのです。如何にも尤もらしい言葉を重ねて意味ありげなことを演出もできますが、私はむしろそれを避けています。ただ、描かれるものの個人的な好みと言うか、世界は勝手にどんな人であっても出来て来るので、いつかザッとそれを推してみようとするかも知れません。

描くではなく描かれると今言いましたが、これはそういう例えなのですが、実際そういう部分から遠くはないのです。100パーセント意図を持ってそこに命中させていく描き方もあるのですが、むしろそれが崩れた方が面白いとか思っているのです。だから、描画の半分は描くではなく描かれたものです。へりくだってしまえば、成り行きとも言えます。

なので、今後も何が出るか知らないまま進むのです。

進む?

うーん、まあ、進むのでしょうね。

2025年7月5日土曜日

朽ちていくもの

例えば山や林を歩いていて、そこに今まさに朽ちていくものを発見すると私は欣喜雀躍します。そうです、私の住まいはまるっきりの僻地と言うではないにしても周辺を山に囲まれているのでこのような光景を随所に見ることができます。



これは誰かの手によって、多分周辺の農家の人であろうと思いますが、過去のいつの日かに切り倒されて周囲の枝葉や土などと混ざり合ってゆっくりと朽ちていく姿です。そのままの具象ではなく、かなり表現を自分なりに工夫しています。

2025年7月3日木曜日

睨む髭爺い

線を幾つか重ねて表現する方法は随分昔からあって、西洋の版画などに多く見られたと思うのですが、それに近くはないでしょうか。線というにはいささか面積を持ちすぎますが雑多な筆で線を引けば大抵はそうなるのです。ほぼ横の線を気ままに描いていたら、その強弱や集合によって髭面の爺さんが出てきました。



そう見えない人はそれで良いのです。他のなにに見えても結構。でもこういう顔をした人、割と存在しています。口の周りから顎にかけて白いひげを生やして機嫌が悪い。

言ってみればこれも一つの実験です。描いている内に何が現れるかを一切予想しない、だからこれも勝手に現れた。

しかしきっと、そう見える人と見えない人が出てくるのだと思います。そこの分かれ目がどうも私には気になるのです。どこが違っているのでしょう。

今後も描いている内になにかが出てきたら貼り付けます。とにかく何か出てくる。なぜでしょう。

2025年6月27日金曜日

捨てられたものの美

美--と言うのは多分正しくないでしょう。しかし廃棄されて集められたようなものが時として面白いイメージやコントラストを描いていることがあります。この場合はなんと表現すれば良いでしょう。実際それらは描画のアイデアに関して非常に魅力的で、何気なく見過ごしてしまうようなところにもアートが存在することに驚きます。


もちろんこれは見る人の感性によっても左右されます。私たちは特別な理由がなくてもそこに目を引かれたりなんとなく訴えかけてくるものがあるように思えることがあります。以前にも申しました…と思うのですが、世の中にはゴミダメを描いて非常に訴えかけてくる作品をものにしている作家が存在します。彼は何故多くの人々が賛える美しいものでなくて避けられるようなものを対象にしたのでしょうか。

ここがアートをやる人の面白いところです。もしかしたら、いやもしかしないでもそれはその人の生い立ちともかなり関係するでしょう。私が幼い頃の周辺の光景はほぼ全てが瓦礫のようなものでした。すぐ近くには周辺から集めてきたゴミの山がありました。映画にでも出てきそうなもので、相当な規模でした。不衛生--ということを除けば、それらは子供の目には宝の山でした。

そういう記憶を少し掘り下げてみたいと思います。

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ブログをふと昔ながらの狭いデザインにしたいと思いました。この面ではBloggerはいじれる部分が少なくて、いまだに自分とブログの感じが合わないと感じています。その内また変更するかも知れません。

2025年6月20日金曜日

襲い掛かるなにか

随分前に描いていたものだけど、どこかへ放置してしまって忘れていて、なにを描こうとしていたのかな。随分適当なことです。



しかしながら、アートと言っても意外にそんなものです。 もっとももらしくはできるけど私には似合いません。成り行きで描いていけばなんだか得体の知れない怪物になりそう。しばらくは放っとくけど、その理由もなんとなく気が進まないだけのことだけど、更に掘り下げたら、この頃は妙に妖しげが多いなと、そんな気がしたからです。

そんな気がしたというのは正直じゃないですね。もとからそっち系なのです。絵を描き始めたのだってどちらかと言えばホラー系ですから、でも今のところはあまりそちらに傾かない方がよいと思ったりで、日頃の思考がまったく定まりません。ブログのタイトルからしてそれでいいのだと割りきっておりますね。

いっそそっちへドンドンいってしまってもいいのです。私のなにがどうあっても世間にはなんの関係もありませんし。


2025年6月18日水曜日

これはアートだろうか

道路の側壁。歩いていて時々こう言うのを見るけど、これって誰かが描いたものでしょうか。それとも自然の悪戯かな。



自然になんてことがあるだろうか。これはもしかしたらコンクリートの隙間からはみ出てくる雑草を刈り取ったあとでしょうかね。グルグルと回転する歯で刈り取る。 或いは固いブラシを回して摺りつぶしてしまう。そして傷跡だけ残った。

でもそれだったらもうちょっとしっかり刈り取ってしまえば良いのに、随分適当な感じです。綺麗にするようなところじゃないし、どうでもいいんでしょね。もし、非常に細かい部分を観察したり或いはコントラストや色彩を変えてやれば、こんなところからでも面白いイメージがわいてくるかも知れません。

これは完全に想像で語っているのであって、現実にそんな作業を見たことはないです。ありそうもない気もするけど。


2025年6月13日金曜日

三つの白い霊体

私は、このブログで何事かを書いたり描いたりしていますが、実のところはっきりした狙い線がある訳ではありません。そういうものはいずれ出てくれば良いし出てこなければそれだけのことという至って行動すら不明なまま時間だけが過ぎていきます。



ぼんやりと抽象系とも現代系ともつかぬことに興味を抱きつつあったころ、Web上の様々な関係するブログを閲覧しました。しかしながら残念なことに、多くのブログが既に発信を止めており、これが何を物語るかを少しの間考えてみました。それは他のプラットフォームに魅力を見出した故なのか、それとも活動の行き詰まりなのか、或いは個人の年齢と関わることなのか。

2025年6月8日日曜日

朽ちて錆びた壁

新しいものよりも、朽ちていくものは様々なものを生み出します。生むと言うよりこの際は吐き出すと言った方が良いでしょう。人間と同じです。あらゆる動物もそうですが、それは老廃物、もっと言えば吐しゃ物かも知れない。



余計なことを書いてしまいました。言葉でそんなことを言えば、恐らく絵を描くほとんどの人を敬遠させるでしょう。私はそんなものを描かないと。しかしこれは言葉でそう表現するからであって、別の見方をすればそれらはまた個別の味わいをもっていることが解るでしょう。

2025年6月1日日曜日

古い印画紙--2

現れる模様に何かを感じることがあるかないか、そこは微妙な分かれ道です。汚れやカスレは時には魅力的な模様を作るし、時には暗示的でもあります。



勿論、なにも感じなければそれでも良いのです。私も全てのことに何等かを感じているわけではありません。しかし感受性は多くても悪くはありません。

印画紙というよりこれはフィルムと言った方が良いでしょうか。タイトル上のことで大した意味はありません。どこかの風景を撮影したもののように、一見、池か湖のような風景が下部に見えます。上は殆ど空でしょうが、何が出現しています。

映画を観ていると、時々映写機からカラカラと音を立ててフィルムが外れるときのシーンを暗示的に入れることがあるようです。改めて探すとなるとなかなか見つけられないのですが、過去には何度も見かけました。あのようなシーンが度々用いられるのはどんな理由からでしょう。

そうです、あの頃から、というよりこれは時代とは関係ないのですが、古いフィルムに、シミかカビか汚れか知れませんが、シーンに浮かび上がる映像を眺めて、まあ、これはちょっと説明が難しいのですが、ぼんやり眺めていたことがあります。

つまり、なんであっても誰かが敢えて工夫したものではないところの模様とでもいうのか、描くものよりもそういうものに魅かれるのです。

2025年5月23日金曜日

描画の途中で何故か立ち止まる

分岐点みたいなものが見えるのです。そのまま具象に進むか抽象風にした方が面白いか。いつの頃からかこれが顕著になりました。



以前ならこういうことはありません、そんまま何の疑問も感ずるところもなく具象に走りました。しかし一旦別の表現を試み始めたものには、それに応じて分岐点が増えてきます。これは苦労とも言えるし楽しみとも言えるものです。

今の私にはは克明描写はかなり遠い存在になりました。もっとも、最初からあそこに入る素地はまったくありませんでした。子供のころからそうでした。せっかくの絵画なのに何故あそこへ行くのか、という疑問もあるにはあるのですが、そこは個人の自由であります。人にはそれぞれの世界がある。

こういうことですので、具象であってもなるべくはその人個人の表現方法が如実に表れている描画に私個人としては魅力を感じます。この絵も、具象で行くにしても、ここから様々な方向へ持っていけます。

しかしこのブログでは概ね抽象現代風でまとめたいと思っています。模索を進めているわけです。そしてずっと模索が続く。

何故と思いつつの毎日です。不透明な水彩です。

2025年5月18日日曜日

古い印画紙

その気になって言えば、描かれるものは何でもアートな訳です。特に古いものから想起されたものの魅力はとても香ばしいものです。



砕けて言えば、そう見えた瞬間で既にそれはそれで良いのです。そこに適当にタイトルを付けて尤もらしくしても良いししなくても良い。だから、楽しい。

勿論、人には好き好きがあります。私に関して言えば、目的を持って描かれたものでなくても魅かれるものが沢山あると普段から申しています。 

モノクロに関してはより一層その感を強くします。出足からして目的を持たない方が良いとすら思います。

とはいえ、このブログの進め方と同様、私自身描いていることの理由すら自分でもわかりません。描いてそれがどうなるのか、そんなことばかり考えます。現実にこうやって少ない閲覧者様に見せているしかないのです。

それ以上のあれこれはやめましょう。そういうのはいつだってうんざりですから。


2025年5月10日土曜日

何気の落書きが面白い

何かを狙って描くことは描く人の概ねがそうであって、そこを充実させねば達せるものはないでしょう。しかしながら物事は、期待しないものからでも当たり前に生まれるものです。



何気もない描画でもない描画に、時々引っかかるものがあります。こういうことは何度も起きていて、いつかは描画のヒントになることと思うのです。特に描くものがやや抽象風に傾いてからはその傾向が強いです。これはダメだと思ったものに少し絵の具を被せるだけで別のイメージが浮かんでくることが少なくないのです。

もっとも、そこから結果的に成功に結び付く確率はまだ低いのですが、それもあまり気にせずに絵の具を扱うその時点を楽しむことができれば得るものは多いのではないかと思うのです。

まあ…、なんでも前向きでなければ進展はしません。どんな取り組みをしたって他人様が困ることはありません。なんでもやってみたいと思いますね。

これは遊びと考えてよいでしょう。が、遊びは非常に重要なものを含んでいます。

2025年5月2日金曜日

現れたイメージに魅かれるものさえあれば

物事はそこだと思います。他人と感性がズレていることなどこの際関係ありません。それを言っていたら人は皆観る者を意識したものしか描きません。商売を考えたらそれがもっともです。しかし少なくない描き手は、それとはまた違った意識で描いています。そして、何をやっても良いのだと考えます。



勿論、描いて世間に見せているのですからそれなりの反応は一応は気にするところです。しかし、それであっても見る人を意識し過ぎた絵はなんとなく面白くないものです。私の場合、今や全くの個人的な楽しみと呆け防止以外の何でもなくなってしまいました。筆を動かしている、絵の具をこねていることが楽しいのです。ブログはまあ、描いたから作っているようなものでしょうか。

2025年4月21日月曜日

描くことに理由付けはしないが

別に具象でもなく抽象でもなく風景でもなく敢えて何かを表現したものでもない。そんな絵を描きたくなります。事実、私がこの頃描いているのはおおよそそんなものばかりです。



これで良いのか、という疑問さえすでに私にはありません。そのようなことは私にはもう無意味になりました。いつからそうだったかは、もう覚えていません。絵を描く人は、その類に関して得々と述べる人が少なくありません。どちらかというと私は、それらに少々うんざりしてしまったのかも知れません。今の私は、描くことに一々の理由を付けない。これをなるべく心掛けています。これをやると、なんだか全然面白くなくなるのです。

2025年4月11日金曜日

古木のイメージから

見えているものをそのまま描くのではなく、今ひとつ、何らかの暗示的な表現ができないものかといつも悩みます。明暗だけで描いても、やれその配置が気に入らないとか筆振りがもうちょっと、とか色々悩むことも日常です。



この絵はちょっとオカルトっぽくなりました。モノクロで描くと具象でない限り割とそうなりがちだと思っています。暗示に留めた絵は見方によって色んなものに見えがちです。

2025年3月29日土曜日

失敗は常に宝物

このようなものに一々の評価を与える必要はありません。この絵は筆が重なりすぎて狙い通りには行きませんでした。しかし、しくじったものは絶えず別の面白さを引き出します。その部分に鈍感であったら物事は面白くないと思います。



もちろん、描いている本人にしかそれは概ね見えません。本人には頭の中に思考の繋がりが存在するからです。 しかし経験を積んだ人なら、本人より更におもしろいイメージを思い浮かべるかも知れません。絵画の取り組みの多様さ経験と言ったものは口ではごまかせないものがあります。この点で絵を描くなかでも少なくない人たちは少々絵に言葉を重ねすぎると私は思っています。絵だけを見せてくれたほうが余程に良いのにと思うことがあります。

2025年3月24日月曜日

モノクロスケッチは日頃の嗜み

それを作品にするか否かはともかく、黒の絵の具を水で溶いただけで何事かを描くことを私は日課にしています。それはとにかく、形になっていてもいなくても良い、自分の感触としてなにかが出ていればよい。そういうものです。



それが何故モノクロかということに関しては多少の理由があるのです。概ねは絵画を考えるときにまず最初に明暗を考えてみたいというところから出発しています。

勿論、明暗を考えないアートも存在します。色彩だけで表現するタイプも当然あります。しかし私は明暗により多く魅かれるものを感じています。

2025年3月17日月曜日

夜の灯り

街を歩いていてどきどきこんなシーンを目にします。いや、そんな大げさなことじゃありません。寒い夜の道を居酒屋を目指して歩いていて、その途中で門の明かりで投影された影のイメージです。


しばしぼんやり眺めました。 元々夜が好きなのです。陰影が好きです。夜の感じが光で演出された時、とてもドラマチックに感じます。これは本当に、普通に何でもない光景なんです。多分多くの人は振り返りもしないでしょう。探せばいくらでもありそうですし。でもその時の私には新鮮でした。なんだかシルエットの人形劇のようです。

2025年3月9日日曜日

どんなものからでも触発されるのだが

このブログの初期でも述べたことですが、私たちが絵を描き始める端緒はどんなものでしょうか。私はもう三十年以上前に一旦中断して再び描き始めたのは今から今から数年前です。何故再び描き始めたのでしょう。


いや、そもそも中断の理由は何だったのか、それはまあ物理的に家庭の事情でありまして、経済的な極度の悪化を経験した者は、絵を描くなどという余裕はまったくなくなるものなのです。それが個人の収入と深く結びついておれば良いのですが、私の場合精々がサイドビジネスでした。従って、収入に結びつくことに関しては細々と作業をしていたのですが、個人の領域の絵はまったく描く余裕がありませんでした。そして今、描いていることを思えば、それは多少なりの余裕が生まれたということでしょうか。

2025年2月22日土曜日

意図しないことを面白く感じる

どいういう訳か、描くということに少々退屈を感じていまして、むしろ無造作に勝手にできたようなものの方が面白いと感じるようになって久しいです。そして昔はかなり影響を受けた先達の絵に関しても、現在の自分の好みからはちょっと離れてしまった感を受けることが少なくありません。



何故そうなってしまったか、については自分でも分析できません。あまり意味がないように思います。描くなりにそうなってしまったとしか言いようがないでしょう。

過去にも、ある人の絵柄が急に変わったような印象を受けることがありました。その方と同じという訳ではありませんが、誰にもそのようなことはあるのであって、私も例外ではないというだけのことです。

一旦そうなってしまうと、その辺のどこを歩いてもアートを見つけることができます。普通の人にはなんら目を引くようなものではないことが私にとってはとても魅力的に思えることが多いのです。

しかしそれを昇華することも難しいですし、まだその状態では共感されることも殆どないのでいささか悔しい所ではあるのですが、それはしかし、単純にトライが未熟だとしか言いようがありません。

このブログでは成果を気にせずに遊んでみたいと思います。

2025年2月16日日曜日

なんだか更新が緩慢

でもそれでいいのです。絵を描いているから更新しているのであってブログの更新のために絵を描いているのじゃありませんからね。とはいえ本音ではもう少し元気に行きたいものです。



相変わらず意味なさげな絵ばかり描いています。このブログではそういうことをやっております。実験をしているといえば良いでしょうか。それゆえバシッとした完成作のようなものはないので、ブログもあまり宣伝せずに慎ましやかにやっております。

ちょっと余談しますが、ブログのアクセスと重要度は、実はあまり関係ありません。色んなブログをやってきたので、なかにはかなりアクセスの多いブログもあります。けれど、そういうブログのアクセスが減ってくるとちょっと気になって、適当な記事を書いたりして繋ぐのですが、そういうのはブログの落とし穴かもしれません。よく考えてみると自分にはあまり意味がなくなっていたりします。当初は色々考えていたのですがね。

2025年1月28日火曜日

あれこれとあって

実は、今回の風邪は奇妙なものでした。絵を描くにはあまり支障はないのですが日常的にはちょっと困りました。少々匂いに鈍感になったのです。もちろんこれは風邪の一般的な症状です。しかし長引きました。



年始に風邪を引いたことは以前に書きました。体は別にどうと言うことはないし、でも外に出るとやっぱりちょっと寒気がしたりで、完全にはなかなか治らなかったのでしょう。頭がヒリヒリしてなかなか取れないし、食べ物の味も一時は悪かったのですがそれも取れたと言うにまだ匂いに関してのみ変だったのです。匂いというよりは臭いの方ですね。つまり腐敗臭に鈍感になりました。

2025年1月17日金曜日

我、荒れ野に彷徨うごとし

どうも年が明けてから物事がうまく行っていないのです。ずっと体調悪くて…。単純な風邪なのですが、熱もなく寝込むほどじゃないにしてもズルズルといつまでもという状態でした。


ああでも、それもようやく収まってきて、ようやく外出くらいはできるようになりました。こういう時に、一人の穴倉生活に似た身の上は情けないものです。食べるものが底をついても出るのが大変。ならもう食べるのもいいやという感じで、どうせ味が変だからスープくらいしか食べられないしで、ドンドン投げやりになります。

この何年間は風邪らしい風邪もひかずでして、今回もその程度だと思っていたのですが、異変を感じたのが外出中だったので対処が遅れました。

2025年1月4日土曜日

新年ですが

既に四日です。なにも変わらないのです。私にはもう盆暮れ正月は基本的になくなりました。一人で生きているというのは大方そういうものです。少ない仲間と忘年会くらいはありますが、それとて毎年同じことを呟くばかりです。いつまでこうして集まれるだろうか。


伐採樹

もう年賀状のやり取りもなくなりました。面倒だからほぼメール。私より高齢の人には返事を即すことになるとむしろご面倒をおかけする。そんなことでいつしかなくなりました。子供の頃は本当に楽しみでした。なにしろお年玉があったし、正月映画がありました。今はどうなんだろう、何がたのしみなのだろう。そんなことを思います。