見えているものをそのまま描くのではなく、今ひとつ、何らかの暗示的な表現ができないものかといつも悩みます。明暗だけで描いても、やれその配置が気に入らないとか筆振りがもうちょっと、とか色々悩むことも日常です。
この絵はちょっとオカルトっぽくなりました。モノクロで描くと具象でない限り割とそうなりがちだと思っています。暗示に留めた絵は見方によって色んなものに見えがちです。
見えているものをそのまま描くのではなく、今ひとつ、何らかの暗示的な表現ができないものかといつも悩みます。明暗だけで描いても、やれその配置が気に入らないとか筆振りがもうちょっと、とか色々悩むことも日常です。
この絵はちょっとオカルトっぽくなりました。モノクロで描くと具象でない限り割とそうなりがちだと思っています。暗示に留めた絵は見方によって色んなものに見えがちです。
このようなものに一々の評価を与える必要はありません。この絵は筆が重なりすぎて狙い通りには行きませんでした。しかし、しくじったものは絶えず別の面白さを引き出します。その部分に鈍感であったら物事は面白くないと思います。
もちろん、描いている本人にしかそれは概ね見えません。本人には頭の中に思考の繋がりが存在するからです。 しかし経験を積んだ人なら、本人より更におもしろいイメージを思い浮かべるかも知れません。絵画の取り組みの多様さ経験と言ったものは口ではごまかせないものがあります。この点で絵を描くなかでも少なくない人たちは少々絵に言葉を重ねすぎると私は思っています。絵だけを見せてくれたほうが余程に良いのにと思うことがあります。
それを作品にするか否かはともかく、黒の絵の具を水で溶いただけで何事かを描くことを私は日課にしています。それはとにかく、形になっていてもいなくても良い、自分の感触としてなにかが出ていればよい。そういうものです。
それが何故モノクロかということに関しては多少の理由があるのです。概ねは絵画を考えるときにまず最初に明暗を考えてみたいというところから出発しています。
勿論、明暗を考えないアートも存在します。色彩だけで表現するタイプも当然あります。しかし私は明暗により多く魅かれるものを感じています。
街を歩いていてどきどきこんなシーンを目にします。いや、そんな大げさなことじゃありません。寒い夜の道を居酒屋を目指して歩いていて、その途中で門の明かりで投影された影のイメージです。
しばしぼんやり眺めました。 元々夜が好きなのです。陰影が好きです。夜の感じが光で演出された時、とてもドラマチックに感じます。これは本当に、普通に何でもない光景なんです。多分多くの人は振り返りもしないでしょう。探せばいくらでもありそうですし。でもその時の私には新鮮でした。なんだかシルエットの人形劇のようです。
このブログの初期でも述べたことですが、私たちが絵を描き始める端緒はどんなものでしょうか。私はもう三十年以上前に一旦中断して再び描き始めたのは今から今から数年前です。何故再び描き始めたのでしょう。
いや、そもそも中断の理由は何だったのか、それはまあ物理的に家庭の事情でありまして、経済的な極度の悪化を経験した者は、絵を描くなどという余裕はまったくなくなるものなのです。それが個人の収入と深く結びついておれば良いのですが、私の場合精々がサイドビジネスでした。従って、収入に結びつくことに関しては細々と作業をしていたのですが、個人の領域の絵はまったく描く余裕がありませんでした。そして今、描いていることを思えば、それは多少なりの余裕が生まれたということでしょうか。
どいういう訳か、描くということに少々退屈を感じていまして、むしろ無造作に勝手にできたようなものの方が面白いと感じるようになって久しいです。そして昔はかなり影響を受けた先達の絵に関しても、現在の自分の好みからはちょっと離れてしまった感を受けることが少なくありません。
何故そうなってしまったか、については自分でも分析できません。あまり意味がないように思います。描くなりにそうなってしまったとしか言いようがないでしょう。
過去にも、ある人の絵柄が急に変わったような印象を受けることがありました。その方と同じという訳ではありませんが、誰にもそのようなことはあるのであって、私も例外ではないというだけのことです。
一旦そうなってしまうと、その辺のどこを歩いてもアートを見つけることができます。普通の人にはなんら目を引くようなものではないことが私にとってはとても魅力的に思えることが多いのです。
しかしそれを昇華することも難しいですし、まだその状態では共感されることも殆どないのでいささか悔しい所ではあるのですが、それはしかし、単純にトライが未熟だとしか言いようがありません。
このブログでは成果を気にせずに遊んでみたいと思います。
でもそれでいいのです。絵を描いているから更新しているのであってブログの更新のために絵を描いているのじゃありませんからね。とはいえ本音ではもう少し元気に行きたいものです。
相変わらず意味なさげな絵ばかり描いています。このブログではそういうことをやっております。実験をしているといえば良いでしょうか。それゆえバシッとした完成作のようなものはないので、ブログもあまり宣伝せずに慎ましやかにやっております。
ちょっと余談しますが、ブログのアクセスと重要度は、実はあまり関係ありません。色んなブログをやってきたので、なかにはかなりアクセスの多いブログもあります。けれど、そういうブログのアクセスが減ってくるとちょっと気になって、適当な記事を書いたりして繋ぐのですが、そういうのはブログの落とし穴かもしれません。よく考えてみると自分にはあまり意味がなくなっていたりします。当初は色々考えていたのですがね。
実は、今回の風邪は奇妙なものでした。絵を描くにはあまり支障はないのですが日常的にはちょっと困りました。少々匂いに鈍感になったのです。もちろんこれは風邪の一般的な症状です。しかし長引きました。
年始に風邪を引いたことは以前に書きました。体は別にどうと言うことはないし、でも外に出るとやっぱりちょっと寒気がしたりで、完全にはなかなか治らなかったのでしょう。頭がヒリヒリしてなかなか取れないし、食べ物の味も一時は悪かったのですがそれも取れたと言うにまだ匂いに関してのみ変だったのです。匂いというよりは臭いの方ですね。つまり腐敗臭に鈍感になりました。
どうも年が明けてから物事がうまく行っていないのです。ずっと体調悪くて…。単純な風邪なのですが、熱もなく寝込むほどじゃないにしてもズルズルといつまでもという状態でした。
ああでも、それもようやく収まってきて、ようやく外出くらいはできるようになりました。こういう時に、一人の穴倉生活に似た身の上は情けないものです。食べるものが底をついても出るのが大変。ならもう食べるのもいいやという感じで、どうせ味が変だからスープくらいしか食べられないしで、ドンドン投げやりになります。
この何年間は風邪らしい風邪もひかずでして、今回もその程度だと思っていたのですが、異変を感じたのが外出中だったので対処が遅れました。
既に四日です。なにも変わらないのです。私にはもう盆暮れ正月は基本的になくなりました。一人で生きているというのは大方そういうものです。少ない仲間と忘年会くらいはありますが、それとて毎年同じことを呟くばかりです。いつまでこうして集まれるだろうか。
もう年賀状のやり取りもなくなりました。面倒だからほぼメール。私より高齢の人には返事を即すことになるとむしろご面倒をおかけする。そんなことでいつしかなくなりました。子供の頃は本当に楽しみでした。なにしろお年玉があったし、正月映画がありました。今はどうなんだろう、何がたのしみなのだろう。そんなことを思います。