2024年12月25日水曜日

思うがままの成り行きで

眼の劣化がなくても絵の好みはかなり変わっただろうと思っています。別に何を描かなくても良いというか、そこにあまり心の部分でウエイトがなくなりつつあります。もちろん、完全な具象にもはなはだ関心を抱き続けています。この部分はなるがままに任せれば良いと考えています。



ひとつ言えるのは、絵を描いていても既に世間の評価などどうでも良くなったことですが、以前を思うと吹き出しそうになります。私はいま、折角のことですから多少は世間に告知しています。僅かにあまり閲覧などありそうにないところのランキングに登録しています。これはしかし、最初の取っ掛かりというか、でなければブログをネットで公開している理由もなくなります。

でも、当初はアクセスのありなしをかなり気にしていました。このブログではありません。過去の幾つかのブログのことです。でも全部行き詰ってやめてしまいました。そういうことが嫌になったのです。いま、その手のランキングをたまに眺めるのですが、ちょっと吹き出してしまうのです。過去はあの辺に登録して反応を気にしていました。まったく錯誤していたなと…。

自分で描いた絵をどう保管するかは、実はかなり面倒なことです。手元には乱雑に詰み上がった雑多なスケッチがあって、これをブログにして置くのは割と有効だと思います。いっそ非公開でも良くて、実際そうやっているブログもあるのですが、完全に非公開でなくて、敢えて寂しげなところにポツンと置いて時折誰かが覗く気配が面白いのです。自分が絵を描くことはもう世間の誰に見せるとかではなくなりました。どうせなら、絵に関する人以外の人に観てもらいたい。そんな気持ちです。

とともに、描く絵もかなり実験的なものばかりになりつつあります。といってもこれは個人の内々のことなので、世間さまとはなんら関係ありません。時折必要な時に紹介の意味で置いてあるようなブログです。


2024年12月19日木曜日

健康問題あれこれ

それなりの年齢なので、少々の健康問題を抱えています。いや実のところ、少々ではないかもしれない。その最大の問題は今のところ眼ですが、ずっと血糖値の問題を抱えています。血糖値と眼底の関係は広く知られていますが、従って定期的に検査をしています。



しかしながら実のところ検査をサボっていました。 コロナ以後、私は多少のところ破れかぶれになって、そうです、どうせこんな世なのだし元からあまり先も長くないと思っているので、好きなことを我慢すべきじゃない。そんな気持ちから飲み歩くようになりました。

と言って世間の呑兵衛みたいなことはありません。アルコールと食べるものを一応は考えてセーブしつつの居酒屋巡りです。人生の黄昏時に、私にとってはそれが楽しみなのです。

2024年12月16日月曜日

冬枯れ

あっと言う間に12月も半分過ぎました。こんな私でも多少の付き合いがあり、毎年年末は忘年会があります。忘年会って、海外にもあるのかな。光景を眺めていると、街はそれなりに賑わいをとり戻していると聞きます。



既に11月からネオンが輝き始め、その雰囲気も好きなのですが、私は冬の木立も枯れた、どことなく寂しげな雰囲気が好きです。よくそんな景色のなかを歩きます。寒すぎるとそれどころではないのですが、なにしろ冬は私の苦手な虫の類が少ない。それあまあ余談ですが。

いつの頃からか、多分子供の時からそうだったと思うのですが、朽ちて寂しげな寂とした風景の中に居ることが好きでした。友達も割と多くその点では別に人見知りな性格ではなかったのですが、しかし同時に孤独な感じに包まれる魅力を感じていました。

考えてみれば、カラフルな絵はあまり描きません。決して嫌いではありません。世間様の魅力的なカラフルな絵にも惹かれるものを感じます。是非そちら系の絵にも取り組んでみたいと思っていますが、しかしいかんせん時間が足りないのです。あれこれと同時にこなすことは私の能力ではいささか難しい。しばらくは今の状態を大切にしたいと思います。

このことは、幼児体験が影響していることは明白です。子供の頃の私の環境は街の外れに近く、今はすっかり景色が変わっていますが、ほとんとが放置されたようなところばかりでした。しかし私はそんな世界が好きでした。

残り寿命が少なくなるに連れて昔を思い出すことが多いと思います。絵もそれに引きずられて、それで良いのだと納得しています。

2024年12月3日火曜日

完成作はない

この種のアートに、まあ…アートと言えるものならという前提ですが、私の場合は完成作を目指しているわけではありません。



色々やっているうちに何が出るかと、言ってみればそんなことなのです。つまりは自分が楽しいと言うのが大前提。いつの頃からか思い始めました。絵は崩れている方が自分にとっては面白い。なぜか知らないがある時期からそうなった。

このことの説明は自分には不可能です。少なくとも現在の自分には。でも手応えというか、そんなものを感じることがあります。もちろんそれは勘違いかもしれません。でも、それだった構わない。自分で勝手にやっていることなので。

といってまだまだの段階なので、それはこれからの取組みです。眼がもう以前と同じではないので継続して同じことを続けることは難しいかも知れません。しかし、描き始めたものはなんであっても描き続ける。

といって、ブログは途中で行倒れるかも知れませんがね。

居直るようですが、このブログは閲覧が皆無です。現在の私の場合は、そのほうが良いのです。却って好きなことがやれる。それで良いと考えています。

ふと眼を引かれるところはどこにでもあります。同じことを述べます。それはチラシの片隅だったり切った庭の木の形だった勝手にできた壁の模様だったりします。

それらが時としてなぜ私に魅力的に見えるのかということに関して、それこそこれは個人的な感性と世界というしかありません。

でもまだまだ、それを言う必要のない状態です。いろんなことを探している状態ですね。

模索です。


2024年11月22日金曜日

出現するイメージ

先日の記事のように、日々はまるで黒雲がかかったような印象です。なにもする気が起きない。こんなことじゃダメという気も最近は失せました。

でも、それはそれとして受け入れる。その方が良いのだと思いつつあります。尤もらしい言葉で日常を飾ってもしょうがありません。そうであってもなくても、結局私は絵を、アートに関することをやっている。何ひとつ実を結ばないけど。



ムンクの嘆きもかくやあらん----。

いきなり話が変わります。私は、時として偶然が見せるイメージにオヤッと思うことがあります。何気なく気にも留めないような部分にそれは現れたりします。ここを興味深いと思うかどうかでその人のカラーが違ってくるでしょうか。このイメージは頭を抱えて嘆いている人の顔に私には見えます。最近の私を物語っているでしょうか。描こうと思ってなかなか私には描けません。

単なる模様が色んなものに見える現象があります。私はこの部分に非常に興味があります。絵を描く描かない以前に興味を持っています。私たちが日ごろみる夢ともこれは関連するのですが説明はとても一筋縄では行きません。

これはいったいなんでしょう。普通に誰にも想像が着くものです。ちょっとオカルトっぽいのも好みではあります。私は他人には信じてもらえそうもないことも経験しているので自然そうなるのですが、その話はタブーにしておきましょう。


2024年11月17日日曜日

この頃は方向が見いだせないがそれでも良いのだ

ブログをいじっている方が楽しい。なんだかそんなことになりつつあります。一つ始めたらあれこれと続く性格です。このブログは一応公開はしていますが、ほぼ個人的な覚えとして存在します。なのであまり丁寧な記事はありません。つまり、世間の反応をあまり考えていないということです。



とはいえ、どう発展するかしないかは自分でも分からないので、その部分はたのしみでもある。まあそんなところでしょうか。

しばらくは何をやっているか知れない状態がつづきますが、なんだって構いません。ここ何年もずっとブログをやってきました。種によってはかなりアクセスの多いブログもありました。でも、だからと言ってなにもない。そういうことがわかりました。その後は急速に熱が冷めました。以後はこのような思い出した時に書くようなブログだけが残りつつあります。

本当に、何かの種探しのような状態なのです。だから描けるし続けられる。この頃はそんなことになりつつあります。

時にはうんざりもします。ちょうど今がそんな状態です。描くことが好きなのにうんざりする。これってどういうことだろう。あまりあれこれと考えてもしょうがないですが、定期的にこれは起こります。結論も出さないまま、そんなものを出してもしょうがない感じで今に至っています。

まあ、色々やってみましょう。それこそ気が向くままです。

2024年11月5日火曜日

ブログデザインが落ち着かない

時々ふと気になってしまうのですが、私は手軽さと編集のしやすさでGoogleのBloggerで記事を書いていますが、以前から困っているのがこのプラットホームのテーマデザインの少なさです。どうもしっくりいくものがないのです。



そんなに凝る程のものじゃない。分かっています。閲覧もないですから。でもだから、ここで色々と試して置こうということで、何度かデザインをいじっています。気分転換でもありますね。

2024年11月4日月曜日

裂けめ

更新が間延びしています。もっと力を入れてやるつもりでした。しかし大体はどんなことでも似たようなことになるのが落ちです。裂けめはどこにでもあるものです。



まったく居直ってしまっていますが。あまりにもやることが増えてしまいました。私は現在ひとり住まいなのですが、家屋の周りの老朽化したあちこちに目が行くようになりました。実は部屋の壁にもひび割れが生じていて、地震がある度にそれが大きくなっています。恐らく、あの東北の大地震で避けたのが最初だったと思います。あの時は私の住んでいる地域もかなり揺れました。

一方庭にはいつの間にか聳え立つように伸びてしまった木が、これは檜のようですが、枝が隣りの壁に接しており、これも何とかしなければという状態でした。以前枯れ枝の写真をupしましたが、あれが伐採の手始めでした。小さなものから切って行って、最後に大きいのをどうにかして切ってしまえば後は体力的にしんどい物は残っていません。

2024年10月19日土曜日

描かれてあるものがなんであるかについて

これについて説明することに、私は、少なくともいまのところはあまり関心がありません。また、克明に描かれた具象であってもなくても、私のなかでは特別に分ける意味を持ちません。



このことは、或いはもしかして、この頃痛感している自分の目の衰えと関係しているかも知れません。今の私には、もう描いている絵の細部はあまり見えません。具体的に言えば、巷のブログも、小さな文字が選ばれている記事は既に読むのが苦痛です。

2024年10月9日水曜日

興味をそそるものがあればそれはアート

私はそう思っています。事実そうだと思うのです。便所の落書き大いに結構。便所に誰が落書きするのか知れませんが、見たことはあります。結構上手いのもある。便所の落書きはクズの例えで用いられますが、理屈はどうとでもなります。退屈な大作よりもそちらに惹かれるものがあれば、それは立派なものです。茶化しているのではありません。



別に珍しくもないですが、私はチラシの切れ端にも、時として面白みを感じることがあります。あるいは廃墟の壁に染みついた模様などにも面白さを感じるときがあります。意図して描かれたものよりもウンと興味深く感じることがあります。

2024年10月2日水曜日

私の眼は日によって見え方が違う

困ったものですが、いつの頃からかそうなってしまいました。医者は手術あるのみと言っていますが、躊躇せざるを得ません。良く調べてみると、必ずしも良い結果ばかりではないようです。



問題はこういうことです。もし現状で留まるなら何とか我慢できる。しかし手術の結果次第では悪くなる可能性がない訳ではない。これは賭けみたいなものです。

ネット上で見つけたある人にコメントしたのですが、なるべくは時間を稼げと、つまり早まるなと言っていました。その方は良い結果ではなかったようです。しかし悪化が顕著ならしょうがありません。その時は良い方へ転がってくれることを祈るのみです。

昨年の今頃を考えると、残念ですが悪化しています。しかし問題はここです。ここで踏みとどまってくれれば…。

2024年9月28日土曜日

どこをさまよい何を探しているのか

絵を描くことは、何かを探している作業です。少なくとも私にとってはそうです。何を探している? いえ、それさえはっきりと答えが出ません。それは偶然の結果だったり、むしろ狙い通りに行かなくての結果だったりします。ちょっと気取って例えてみれば、その行き着く果てとでも言えばよいでしょうか。


タイトルは想定しない

しかしながらアートが面白いのは実にそのような部分であって、それで良いのだと私は思っています。 迷い人とでも言えば良いかも知れません。アートは、次から次へと未知です。そうあるべきだ、とまでは言いません。人にはそれぞれ考え方があります。しかし私に関してはそうです。

2024年9月10日火曜日

何とかなっている以上は作業を継続

思いもよらない障害に遮られたら気力そのものも萎えてくるのですが、それでも何とかなっている間は、つまりは絵を描いている日常を継続することです。過去は概ね油彩での作業でしたが、あまり広くない日本の住宅事情をお察しください。私のように好奇心に基いたことの何でもを、とにかく時間の制限のなかであれこれと取り組んでいる人間にしてみると、油彩は何かと場所を取り保管も大変で一々が簡便ではありません。


なので現在は、概ね水だけで描ける作業を好んでいます。これは透明水彩にしろガッシュにしろ水彩絵の具は僅かな時間を無駄にせず作業ができて、しかも油分の加減だのという面倒なことがありません。充分な余裕ができればいずれ油彩を楽しみたいとは思っていますが、しかし私は既に人生のかなりを過ごした人間で、油彩に復帰できるかは判断の難しいところです。

2024年8月26日月曜日

ともあれ日常は継続する

厄介な状態になりましたが、それでも日常は続きます。私の日常は普段の生計を立てるための仕事とアートです。アートというと気取ってしまうのですが、とにかく絵を描いているのです。見えるものが日に日に見え辛くなっていて、その面では描く度に情けない。が、今のところ自分ではどうしようもありません。



ちょっと余談しますが、私は今このブログをGoogleのBloggerで作成しています。このプラットホームは記事の編集がとてもしやすいのですがひとつ難があります。それはサムネール表示の問題です。これに関しては正確なリサイズをhtmlで打ち込んでやらないと何故かピクセルずれを起こします。リサイズした時に何故か1ピクセルずれるのです。

2024年8月24日土曜日

不安が訪れた

不安は以前からあったのです。元々眼に問題を抱えています。それに関しては、多少は面倒でもなんとかなるだろうと思っていたのですが、少しばかり事情が違っていたようです。

このことは以前から述べても居たのですが、 実はもうかなり画像とか映像とかが見にくくなっています。最も辛いのはモニターです。私は日常モニターを眺めて仕事をしています。既に多くの人が普通にデジタルで仕事をしていて、私もその一人です。こうやって記事を書いていても長時間は辛い。まあ、ブログの記事くらいなら休みやすみでどうにかなります。

先日、少し離れた眼科を訪れたら、適当な時期に手術をするしかないと言っていました。よく似た部位の症状については注射で何とかなりそうだったので、私はてっきりそちらだと思っていたのです。意外な成り行きで戸惑っています。普段診てもらっている眼科ではそんな説明はなかったのです。

2024年8月12日月曜日

これはオッサンか

オッサンとはその辺のやや年配の男をさす言葉です。英語ではなんというのでしょう。ちょっと調べてみたらolder manとありました。まあ、それでいいのでしょうね。



でも、必ずしもそう見える必要はありません。私にはそう見えたということです。ぼんやり眺めていると楽団の指揮者にも見えてきます。前後に顔がくっ付いている変な奴にも見えてきます。

角度を変えてみるとまた違うかも知れません。無理やりを想像する必要はありませんが、単純な模様から何が想像できるか。これはとても楽しいものです。

2024年8月8日木曜日

埋まっているもの

ちょっとばかりややこしいことがありました。世間の誰にも無関係な個人的な日常ごとです。なのでちょっと更新が隔たりました。元々このブログは自分の記録のようなものなので更新を気にする必要はないのですが、忘れてしまわない程度に記事を書いておきましょう。


埋まっていたものの露出、或いは捨てられて朽ちたもの


個人的にどんなことがあったか?

うーん、まあそれはね、どなたも同じだと思います。人が生きている限り、避けられないことはある。一つは健康上、ひとつは隣人たちとの関係。まあ本当に色々あります。健康上のことと言ってももう幾つも抱えていまして、今さらのことなのですが、最近は特に眼がよくありません。私は何故か昔から医療ではあまり良い経験がないので、病院通いが億劫なのです。

まあ、その話をしていると長い。人には運とか星とかがどうやらあるようで、少なくとも過去はそうでした。でもいつかは決断しなければならないでしょう。

2024年7月31日水曜日

想像するのが楽しい

他人にどう見えようが、それは問題ではないのです。自身でそこに何かを感ずればそれで良い。いつの日だったか、私が街の図書館を訪れた時、駐輪場の壁に偶然残された雨の染み跡が眼に入りました。


夜会

それは本当に誰の作為でもなく勝手にそうなったものです。そこに面白さを感じるとはどういうことでしょう。一々の分析はこの際止めておきましょう。早く言ってしまえば単にその模様の類が私の好みだっただけかも知れません。言葉を沢山乗せて尤もらしくすることもできるかも知れませんが、私はそれをずっと避けています。そういうことはむしろ面白くないのです。

2024年7月26日金曜日

意図しない絵の面白さ--3

私は、例えてみれば見ようによってどうにでも解釈できるアートが好きなのです。少なくとも今のところは…。何によってどう描かれたかわからぬ絵は、個人的にはとても楽しい。



何故?それについての説明はとても難しい。平面アートには、つまりこの場合は何らかの画材を平面の上に展開するアートですが、非常に長い時間と訓練と我慢の後でしか達せないものがある一方で、全くの偶然であるか意図しない描画が時として同様の説得力があったりする。ここに面白さを感じたのです。

2024年7月19日金曜日

意図しない絵の面白さ--2

具象画であれば、概ねは何らかの形を描く訳ですが、形も色も何等の意図を持たないイメージも時として私の目を惹きます。



それが何を表しているかと問い始めたらこのような行為は突然つまらなくなります。しかし偶然のなかからどこを選ぶか、などについては人の意志が入ります。恐らくはその部分如何によって随分説得力が違ってきます。しかしここではそれをもなるべくは考えずに遊びに徹するのです。遊びこそ面白い。しかも形に拘らない絵こそこの場合は面白いと思うのです。

他愛ないと考えるかどうかはその人次第です。しかしここは出来の良い悪いや説明は考えないで偶然にできるイメージにもっと関心を持ちたいと思うのです。私にとっては重要な作業です。

上の絵、取りあえず絵として置きますが、どうやって描かれたものかはしばらくは黙って置きましょう。絵を描くには本当に色んなことに取り組まねばならず、これはその一環です。

一方で、形は不明でも完全な意図を持って描く場合もあります。抽象画と言っても多くはそうではないでしょうか。しかしこの場合はそれもないです。

あまりうるさく考えないで遊んでみましょう。

2024年7月12日金曜日

アートにタイトルが要るのだろうか

意図した場合は当然タイトルは必要でしょう。しかし大抵の場合、タイトルは渡世の義理のようなものです。私は、特に最近ははっきりとした形を描くことが少なくなりました。ものの連想で描くようになったのです。その連想したものに対してタイトルは可能です。しかし、それほどの意味があるでしょうか。



色んなことがわからなくなりつつあります。例えば上のイメージはあまりものを考えずに自由に筆は操作、そうです、描いたというより操作したと言うほうが適当かもしれません。更に、何を描こうという意図もありませんでした。しかしその結果にはそれなりに興味の対象になる部分を見いだせます。ここから幾つかのイメージを連想することができます。

2024年7月3日水曜日

それは何をイメージしても構わない

私はこのようなことが好きなので日頃ずっと似たようなことをやっています。つまり、何等の意図も持たずにできた模様からイメージを連想するのです。


遠望

個人的な面白さに遊んでいるとも言えるのですが、ここには描画のひそみの部分があると思ってるのです。描いてもその雰囲気が出ないのに何故か偶然がそう見える。この不思議を思うのです。


葦の生える沼

勝手なタイトルを付けていますがつまりは何でも良いのです。もっと他が連想できれば添それで良い。


丘への斜面

もし回転させて他の物に見えればそれでも良い。ここはイメージを受けて脳がなにを判断するかに任せます。これらはただ単に絵の具や墨を流したものか或いは他の意図を持って描いたものを別の角度から眺めたりしたものです。筆の動きひとつとっても、それを追いかけて描いたものよりさり気なく無造作に、偶然に媒体に触れたかのようである方が私にはグッとくるのです。

勿論誰しもがそうだとは言いません。これは完全に私の世界です。しかしこれが私の絵画の原点でもあるのです。

とはいえ、とてもうまくは説明できません。追々イメージを公開するのみです。

2024年6月29日土曜日

路傍の神

 このブログは出戻りです。つまり過去に運用していたブログを一旦整理した後の継続です。途中から少々考え方も変わったり、種々の事情がありました。そのことはもう詳しくは述べませんが、当時描いたものなどもちょっと筆を入れたりで見直してみたいと思います。



そんな意味で、過去と今を考えることは決して無駄ではないと思います。なかなか感慨深いものがあります。時間と共に色々と変わるものがあります。流れのままにそれに従いたいと思います。

2024年6月23日日曜日

勝手にできるイメージから連想する

モノクロの画像が多いと思われるでしょう。必ずしもモノクロだけで描いているわけではありませんが、例えば私は写真に関してもモノクロが好きなのです。何故という分析をしたことはありませんが。





殆どの人はあまり関心を示さないようですが、私は一般的な具象絵画においてもまず明暗のトーンで表現できるように練習しています。他人様にあれこれという程のものは描けないのですが、それでも個人的には大きな意味を持つと考えています。描かれた絵が平板に感じて面白く感じないような時は明暗の配置と深度を考えてみれば良いのではないかと考えます。

2024年6月19日水曜日

捨てるような枯れ枝も捨てがたい

ややこしい言い方です。しかしそう例えるしかありません。ある日私は無造作に重ねられた、すっかり枯れた切り枝を路傍で見つけました。樹木は伸びるのでたまに切り落としてやらねばなりません。町内でも時折は道路に伸びた危険な枝を伐採しています。余談ですがこんな場合は持ち主との関係でちょっと面倒だったりもするのですね。しかしとにかく日常的にそのようがことがあります。



山に入っても同じような場所を見つけることがあります。伐採した大きな枝を積み上げて長い間放置している場所があります。訊けばこの場合はそのまま腐らせてしまうそうですが、そんなに早く土に還ってくれるのでしょうか。私にはなんとも不思議な世界のように感じます。

2024年6月15日土曜日

偶然からでもイメージを浮かんでくる

私の個人的な取り組みです。大袈裟なことではありません。偶然に散らばった絵の具の跡からでも様々なイメージを思い浮かべてみようということです。


暮れ

私は、以前は綺麗に整えられたイメージが好きでした。当然のことですが、物が整えて描かれてあると他の物を想像することはありません。しかしそれを大雑把にでも、あるときはかなり適当に形を分解して幾つかのパターンに置き換えてやると、そこから他の形や物事を想像できるようになる--これが面白いと感じるようになったのです。

逆に言えばこれは、適当に散らばった図形からでも、見る人によって様々なことが想像されるということで、近頃の私はかなりその虜になっています。狙いをもって描いた絵を逆さまに見ると、その方が面白いときがあります。

だからどうだという話になると困ってしまうのですが、興味深く感じている間は続けてみる考えです。

そうそう、例えば象さんやお猿さんが描いた絵などもなかなか面白かったりしますね。それらは現実にそれなりの値で売られていると聞きます。アートは全て見る人の感じ方ですからあまり制限はない方が良いと思います。

何が生まれるか、あるいは生まれないかも知れないけれど、描いている私が面白く感じていればそれで良しとしましょう。

2024年6月8日土曜日

畔の小道--暗示的な表現

偶然とアートの関係を以前から語っています。そこに何が描かれているかについて、作家は説明する必要があるでしょうか。これは随分昔から色々と言われている問題です。私自身も迷うことが多く、しかしながら、あまりの説明は避けるようにしています。


モノクロで暗示的に描かれた抽象的な風景画

この絵は、タイトルがあることによって想像が導かれるタイプの絵だと思います。もしタイトルがなかったら、人によっては単純な模様にしか見えないかもしれません。小さな田んぼ、或いは池でも良いのですが、点在するその間を縫うように続いている畔の小さな道です。どこかに人らしきを描けば、私たちの脳は明瞭にそれを思い浮かべると思います。急にピントが合ってくるのです。

2024年6月3日月曜日

意図しない絵の面白さ

言葉は、時には慎重になることが要求されます。まるで作為のない単なる偶然によって描かれたイメージにも興味深い部分を発見できることを思っています。しかしそれを絵と言えるかどうかは私には分かりません。しかし取りあえずは絵と言って置きましょう。



それ故こう仰る方が現実に居られます。そんなのは絵ではない。絵と言うのは意図して描くから絵なのであって、偶然の結果は単なる模様だと。

その判断は今はしないで置きます。と言いうより、私にはあまり興味が持てません。実際、そんな意味で言えば、ふふふ、それこそ意味と言ってしまうのですが、具象画だっていったいどこがアートなのでしょう。私には分からなくなります。

2024年5月30日木曜日

木漏れ日は私にはとても魅力的です

木漏れ日に面白さを感じるかどうかはその人次第ですが、私はかなり魅了されています。実際それは神秘的であり時には色んなものを想像させるようなものすら浮かび上がってくることがあります。



何といっても作為の外側にあるものですから、そこが面白いと思うのです。起きていることは偶然であって、誰かの作品ではない。しかしながらそれは自然の作品であり、脳を刺激するという点ではまことに捨てがたいものです。どころか、狙っても描けないようなものに遭遇することすらあります。上の写真でも人の顔のようなのが、見える人には見えてくるでしょう。

2024年5月27日月曜日

ブログのデザインで試行錯誤しています

このようなことは本来公開する前にやって置くべきでした。しかしながら迷っています。ブログのデザインひとつ、程よいところをなかなか作れないものですね。

インクを流してできたイメージ
インク流しの絵

私はどちらかと言えばスリムなデザインが良いのですが、眼が衰えてきたので、それに連れて文字が小さいのではちょっと見にくいのです。

公開したのはつい先日ですが、ブログの前身を作ったのは何年か前でした。その当時はあまり不具合はありませんでした。実際これは私にとっては深刻な問題で、いつ劣化が止まってくれるかという僅かに希望的な事柄しか残されていません。自分にどうにもできない事柄に関してはここであまり述べても意味はありません。せめて見やすいブログデザインをとあれこれやっている訳です。

2024年5月25日土曜日

観察したり考えたりが楽しい--1

 

回転して別のイメージとした絵

なんと言うことのない描画途上のスケッチも、ちょっと観方を変えてやると別のイメージが浮かんでくることが少なくありません。或いは失敗したと思われたスケッチでも別のいろんな角度から眺めると意外に興味深い部分があったりするものです。

そんなときどうすればよいでしょう。私はできるだけマメに記録を取って置くべきだと思っています。描画が進めばその瞬間は失われてしまいます。私はそんな意味でも、描画初期、つまり描き出しのイメージや中途の段階をなるべく写真に撮るようにしています。そして事実上非公開のブログに個人の記録として保管しています。必ずしもブログにする必要はないのですが、その時の考え方やひらめきを記録しておくことができます。これは小さなことではないと思います。それなりの手間は取られますが意味はあると思います。

2024年5月23日木曜日

気の向くままに色々と




このブログでは現代アート風を多くしたいと思っています。しかし普段の取り組みに関しては、ほぼ単純な練習であることをお断りすれば、それなりに色んなことに取り組んでいます。

世の中には透明水彩しか描かない人も油彩しかやらない人も存在します。その点で言うと私はかなり様々なことをやっています。今多いのはガッシュによる描画ですが、これはかなり物理的な事情によります。

2024年5月20日月曜日

興味の対象はどこにでも見出せる



多くの人はきっと同じ考えだと思います。つまらぬ模様からでも人によって面白さを感じたりするもので、だからアートなのだと、まあこれは、そんなに力むことでもないのですが、私に取ってはその辺りのことは非常に重要なのです。

2024年5月18日土曜日

過去は謎の方が面白いけれど

何となくそう言う風に思えるものです。 しかしそれは成る程の人であってのことでして、私のような者にはお笑いです。私のことを世間は誰も知りません。身の周り以外はね…。しかしプロフィールをここに長々と書くのは控えます。元々自分語りは退屈なものです。


意図しない偶然のイメージ
インクを適当に流して描いた絵


前述のとおり躓きがありダメージは大きかったのですが、とにかく私は生きている限り何かをしなくてはなりません。相変わらず私は商業美術で身を立てたいと思っており、といって取り組みにも身が入らず悶々でした。大なり小なり誰しも似たようなことがあるだろうと思います。一旦は東京を離れ自宅で過ごしていたのですが、それでどうなることでもなく、また東京の狭いアパートに戻りました。戻ったところで、明日食べていく元手がありません。絵もすぐには仕事になりません。私の場合は時間をかけてもそれは難しいことでした。

2024年5月13日月曜日

鬱陶しい経験

眼に関するアクシデントについて、詳しく述べることは避けたいと思います。他人様にとっては恐らく退屈なことです。しかし若い頃でしたから随分なダメージでしたし、後で判ってみれば、その原因は全く馬鹿馬鹿しいことでした。医療にもかかっていましたが、心配ないというばかりで誰も気付かなかった。

以後はそれなりの不自由を抱えて生きることになり、今また年齢的な問題を抱えています。年齢ばかりは抵抗できませんね。それなりに眼も衰える

当時のことを思い起こすと、まったく闇の中を手探りで歩くような鬱陶しい毎日でした。どうにかなりそうな医療機関を更に求めて歩いたり、それは希望だけで繋いだ結果の出ない長い旅でした。

2024年5月10日金曜日

SFブームが過去にあった

今は廃れた、と言う意味ではありません。今はCGが凄いですし特撮など当たり前であって、むしろ普通になったということでしょう。しかし私の記憶では、エイリアンの一作目が公開された時期、これが特に印象深いのです。1980年だったか、あの作品は、映像的な面でもそれまで私たちがテレビドラマなどで知っていたものとは一線を画したように思います。リアルさという面からも。

その後スタートレックやインディージョーンズやスターウォーズなどが登場し、テレビで良く知っていたスタートレックも映画なるとやはり映像的にも違ったように思います。過去打ち上げられたボエジャーが機械文明と一緒になって戻ってくるあの話です。笑顔のないミスター・スポックを見て観客はクスクス笑っていましたね。もっともこのスタートレックの評価は色々あったようですが…。

SFは絵だね--というのは有名な言葉です。どなたが仰ったのだったか。確かSF小説家の野田昌弘さんだったと記憶します。日本でもSF関係の雑誌がいくつか出回るようになり、海外のアーティストの絵なども知る機会が多くなりました。私も憧れて描いたものです。

2024年5月7日火曜日

何度も挫けて今も挫けて


モノクロによる描くままのイメージ

クリエイティブ--と言う程のことではまったくありません。ただ私は、描くことが好きだったので、己の身に備わったものを良く認識することもなく、また自身での努力がどこまで可能か、などといったクールな観察もなく、ある時期から漠然と商業美術で身を立てたいと思うようになりました。 元々粘り強さのない性格だったので、それまで勤めていた現実的にサラリーの得られる仕事を辞めてしまいました。正直を言いますと、当時の職場には息が詰まりそうでした。

2024年3月20日水曜日

わからないまま描いている


過去を語りますが、若い頃は、絵で身を立てたいと思っていました。その分野は主に商業美術だったのですが、その才能のなさから実現に至りませんでした。今振り返ってもそれは至極当然でした。世には才能と共に努力を怠らない人が居て、私はその面ではズボラでした。多分、比較にならない程…。

2024年3月15日金曜日

目的も計画もなく結果も特に求めない



もうそんなことではなくなったのです。 私は出来の良い絵を求めているのではないのです。それは、多分もう、今の私にはしんどい。若い頃の絵を見てビックリする。どうしてあんなに根気があったのだろうか。細かい部分をしんどい思いをしながら描いていました。その結果は、当時は受け入れられたのですが、今の私にはちょっと首を傾げるものです。今はもう全然別のものを求めています。

2024年1月3日水曜日

新年を迎えましたが



2024年です。正月も私は仕事をしていました。今も年末ギリギリになって渡された仕事を続けています。正月だからと言って何等の変化もありません。眼は不安ですが成り行きに任せるしかありません。齢とともに徐々に見えにくくなってくる。それは絵を描いているものにとってはかなり深刻です。才能さえあれば逆に面白いのが描けるかもしれませんが、多分私にそれは無理。